流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

種田山頭火のように、いい歳になっても悩んでダメやってる人になっていきたい

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種田山頭火といえば、「分け入っても分け入っても青い山」などの五七五にとらわれない自由律と呼ばれる俳句の形を作った、20世紀の旅の俳人です。

 

しかし、彼の俳句を見てみると…

 

「まっすぐな道でさみしい」

「どうしようもないわたしが歩いている」

「焼き捨てて日記の灰のこれだけか」

 

といった、どう見ても優雅な俳句の世界とは一線を画しています。

寂しいという自分の感情を表わしたり

自分はどうにもならないものだと諦めたような自虐のような句だったり、

過去を清算しようとした過去の重さはこれだけだったのか(?)とおののいていたり、

 

マイナスの感情をふんだんに、素直に表した俳句を沢山残し、

そこに引っかかるものを感じると同時に、強い共感を感じずにはいられません。

 

特に「風の中おのれを責めつつ歩く」は、山頭火の生き方そのものを表わしているようです。

 

この句を残したのは、山頭火56歳の頃なんです。

 

孔子は「われ、四十にして惑わず」と回顧していましたが、

その年齢を余裕で過ぎてからも、惑いまくっていたり、精神不安定になって自殺未遂も起こしています。(53歳で)

 

種田山頭火の生涯をざっと

1882年、山口県防府市の大地主の子に生まれた山頭火は、10歳のときに母を自殺でなくし、心に大きな傷を負います。後に俳句の実力を認められ、文芸活動を始めますが、没落した父の生業を立て直し、真面目に働こうとします。(24歳)しかし、真面目にやろうとしても、真面目にやれず、仕事は失敗し、家族から離縁されます。

 

42歳、自殺未遂を図りますが、禅寺に入り出家します。これが転機です。

44歳の頃から、歩きの旅をしながら俳句を作り続ける人生が始まります。

全国各地を歩いて旅をし、行く先々で彼を尊敬する人や友人知人に世話になりますが、山頭火はグータラ。

酒を飲み過ぎて尋常じゃない暴れ方をして、周囲は大迷惑。彼の尻拭いをさせられます。

食い逃げを繰り返したり、乞食のような暮らしをしつつ旅をし、ダメ人間っぷりは健在。しかし、悩みを抱えやすい山頭火のことですから、迷惑を掛けたこと(と、中年以降の体調不良)を思い悩み、後悔を繰り返します。精神不安定さを抱えて旅を続けています。

57歳、愛媛県松山市一草庵という庵に住み、そこを終の棲家にすることに決め、1940年10月、この庵でお亡くなりになりました。

享年57歳。生涯に8万4千句を残してきました。

山頭火の魅力は、「いい歳しても悩むのを肯定してくれる」

さて、僕がなぜ山頭火に惹かれるのか。

それは彼の年齢です。

 

俳人としては10代から開花していますが、旅の俳人としてのスタートは、とっても遅咲きの44歳。

そして、死ぬ直前まで、ずっと精神不安定に悩まされ、自分の「ダメだとわかっているのにやってしまう」のに後悔したり、53歳で自殺未遂を図っていました。

 

「いい大人が、そんなことしてちゃダメだろう」と後ろ指差される、4,50代という年齢が、ダメなことをやってしまって、等身大に悩みまくっています。

 

 

そんなところに、中年や老人になっていくのに、相変わらず「惑わない大人」になれない自分を肯定してくれている気がするのです。

 

そして、自分はこれからも悩んでいいし、ネガティブな感情を表に出していいし、やっちゃだめだとわかっていてもやってしまうところを認めていけるかもしれません。

 

そうなれば、ライフステージが変わって、ネガティブになりがちな中年以降の不安が、少しは軽減されるように思えます。

 

僕が旅をするときは、旅先で思った感情を大事にしたり、日常生活で悩むことも大事にしよう、そういうきっかけをくれた人物でした。

 

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