日本一寂しい旅を追求する?(中編) 奈良山奥、限界集落を越えて
この企画は、旅で感じる「寂しい」をとことん追求するものである。
どうせやるなら、とことん「寂しい」旅にしようじゃないか。
今回のルートは、奈良県の山奥「野迫川村」から、廃村「中津川」。
A:和歌山県橋本市→B:高野山(壇上伽藍)→C:【奈良県】陣ヶ峰→D:野迫川村→E:池津川集落→F:中津川廃村→G:国道168号入り口→H:宗川野集落→I:城戸駅→J:奈良県五條市
★ドラクエの村みたいだった
高野山の裏側、「裏高野」は、隠れた秘境である。
某鉄道時刻表の警部の名前も手伝って、十津川村は有名だが、「野迫川村(のせがわむら)」は、知名度は高くないらしい。
周囲を1000m級の山に囲まれた、谷あいの村は、人口430人。*1
近畿の自治体の中では、最も人口の少ない村だ。
ダーツの旅のように、第1村人発見!が難しいのか、と言われれば
そんなことはなく、少なくとも7人くらいは人の姿を確認することができた。
民家の庭で布団を干していたり、ガソリンスタンドで親子と女性店主が世間話をしている営みがあった。
まず、民家がとても少なかった。20軒くらいしかない。
ガソリンスタンドがあって、村役場があって…
これから商店街が始まるのかな…と思ったら、商店らしい商店もなく*2、それどころか家が数軒並んでいるだけで、すぐ山畑が現れ、山道に戻った。
他に村にあるのは、郵便局、民宿、消防車小屋、中学校、新しめの村営住宅くらい。
日常の買い物は、車で村外に出て買っているのだろうか?
移動販売車が決まった時間に売りに来るのだろうか?
2,30軒の民家に、少しの店や宿…
これを見て、ドラゴンクエストに出てくる村を思い出してしまった。*3
これから目指すのは、さしずめダンジョンのような道。そして廃墟。
RPGのような冒険心に火がつく。
※後でわかったのだけど、野迫川村で最も人口が集中しているのは、北部にある「野川」地区で、中心地より多い民家や営業している商店もあるようだった。
★小川のほとりでラップ飯を食べる
14時。腹が減ってきたので、適当な食事場所を見つけ、昼食に。
とはいえ、公園もましてや食堂もないので、消防車小屋の脇にバイクを停め、小川のほとりに腰掛けて、ラップご飯を食べた。
温かくも冷たくもない。
常温放置して2時間ほど経ったような米に、野沢菜を添えてラップでくるんだだけの簡素なご飯だ。温かいおにぎりですらない。
冷や飯と侮るなかれ。
口にひとくち、野沢菜と一緒にちぎって、米を噛み噛みする。
すると、米が段々甘くなって、美味しくなるのだ。
空きっ腹に、野沢菜ご飯は、なお美味い。
小川のせせらぎの音を聞き、時々通る車の運転手がどんな人かを観察しながら、米の甘さと野沢菜の塩っぽさを味わっていた。
ぜいたくな時間だった。
★近づく限界集落?
いよいよ廃村「中津川」に向けて、バイクを走らせる。
進むルートは、奈良県道734号を約16km。
道はきわめて悪い。そのため、たった16kmの道のりでも、1時間以上を掛けて進まないと安全とはいえないのだ。
アリが地を這うように、ジリジリとバイクは進む。
薄暗い谷の底を進み、人が通りそうな気配は少ない。
寂しさというより、心細さが徐々にわいてくる。
20分ほど走ると、民家2、30軒ほどの「池津川」という集落に出た。
限界集落ではないようだ。
軒先に洗濯物はある。クルマが停まっている。家が草でむしていない。
昔、学校として使われたらしい建物があった。現在は集会場だろうか。
そして、人の姿もあった。
しかし、見たのは7,80代のお爺さんだった。
どのくらいの年代の人が多いのかわからないが、お年寄りが多い集落ということになるのだろうか。
山の中という場所は、ある程度元気でないと住んでいけない。
たとえば斜面や階段の多い場所で暮らしていけるには、最低限、坂を登って移動する体力と筋力が必要になるという。
山の人は日々鍛えられているそうだ。
しかし、10年、20年経ったら、この集落はどうなるだろうか。
たとえば60代の人が中心世代なら、20年後は80代になっていく。
限界をひしひしと感じているのは、集落の当事者だろうか。
★廃村の跡が
さらに県道を進む。人の住む集落の先は、一気に交通量が減るのか、明らかに道が粗悪になってしまっている。
落ち葉がほとんど片づけられていない。
積もって、前日の雨と混ざり合い、泥のようになって滑りやすくなってしまっている。
さらに厄介なのが、落石だ。
砂利や小石が落ち葉と混ざり、見分けがつかないので、避けられない。
大きな石なら、なんとか判別できるが、避けきれない可能性もある…。
転倒は怖い。ただのかすり傷から転落事故、バイク故障まで、リスクは無限だからだ。
スリップをなるべく防ぐために、スピードを落として、牛の様に道を進む。
すると、森の中に、開けた場所が現れた。
しかし不自然だ。
家の基礎やスロープのようなものが残っている。
民家が建っていたということだろうか。
森の急斜面の中に、廃屋が建っていた。
さらに、その近くにログハウスのような家が建っていた。
ここは、「紫園(しおん)」と呼ばれる場所。
かつては銅の採掘のための集落があったといわれるが、銅がなくなると、それとともに人も民家も消えていった。
ここから消えて行った人々、消えた人を見送る人は、どんな想いで居たのだろうか。
そこから先も道は荒れ放題だ。
道のすぐ脇に、地滑りで木々が谷底へ落ちている場所があったり、
山の上に続く沢と滝があったり、
自然のなかにたった一本の道だった。
そこを僕一人と、なんとか動いているバイクで進まなければならなかった。
もしもバイクが停まったら…。
しかし、半分諦めモードだった。
多少砂利を踏もうが小石を踏もうが、スピードが遅ければダメージは少ないだろう。
中津川の廃村へあと一歩。
分かれ道の先は、苔むした斜面の道路が、行く手を阻むようだった。
小石につまづき、転倒しかける。
行ってはいけないのだろうか…?
野迫川村の中心部から1時間。
自然に還ろうとしていた道路の先に待ち受けていたのは…
埋もれていた廃村だった。
次回に続く。