すごい日本奥地紀行【南信州編】 第5回 遠山郷→日本のチロル・下栗の里
【第5回】
大阪→→(岐阜県)馬籠宿→(長野県)妻籠宿→→ 大平峠→遠山郷→
小嵐稲荷神社→下栗の里→しらびそ峠→大鹿村→分杭峠(2泊目)
→ 諏訪大社→奈良井宿→御嶽神社→開田高原→(岐阜県)御嶽スカイライン→
喫茶・五重塔→下呂温泉(3泊目)→ 関善光寺→岐阜大仏→長良川沿いに続く道→→大阪
長野の秘境・遠山郷のハイライト「下栗の里」へ!
しかし、ここからの道のりは、山道また山道の連続だった。
★小嵐稲荷神社
遠山郷をネットで調べていて、結構気になっていたのが、この「小嵐稲荷神社」だった。
なんでも、山奥にあって、なぜか社殿の周りに、大量の小さな社が、地元の人によって置かれまくっているという画像を見たからだ。
この変わり種は見逃せない。ということで、小嵐稲荷神社を目指して行った。
ちなみにこの鳥居は、前回行った、旧木沢小学校の近く(集落の中)にある。
左に案内図があるが、山の頂上近くにあるのが、小嵐神社。
木沢集落から、3,4キロ、約500mは山道を登る。
これを徒歩で行くのは、立派な登山だ。
しかし、車もなかった頃の村人は、山道を登って神社に詣でていた。
参拝すること自体が、どれだけ尊いものだっただろうか。
僕の乗っているバイクは、ホンダのPCX125という、オンロードスクーターだ。結構ポピュラーな車種なので、道路を走っていれば、1日1回の頻度でよく見かけるくらいのものだ。
そんな舗装された道路向けのバイクで、グイグイ山道を上がっていく。
バイクは急こう配の登りでも、まだまだ強い。
集落の上の方に来るには、そんなに時間はかからなかった。
狭い登り道を挟んだ急斜面に、茶畑が広がっていた。
ここからは森の中へ分け入っていく。
すると、倒れた鳥居が!?
なんで倒れたままになっているのか?
鳥居をよく見てみると、この鳥居をくぐって斜面に沿って
「小嵐神社 参道 ここ」という看板が貼りつけられていた。
どう見てもケモノ道である。
これは先が嫌な予感がする。
道はギリギリ舗装路だ。葉っぱが散乱し、石が落ちて、バイクの足元をすくおうとしている。
そんな中、予想もしていなかった道が、行く手にたちふさがった。
「林道 三ツ沢線」。
その先は、舗装もされていない、土がむき出しの、オフロードコースだった。
森もさらに深く暗い。クマが襲ってきてもおかしくないワイルドさだった。
「いやいや、この道じゃないだろう。」
そう思って、他の道を探して走ってみたが、小嵐神社に続く道は見つからなかった。
「この道しかないのか…。」
覚悟を決めなければならなかった。
しかし、乗っているのは舗装道路対応のバイク。
以前、このバイクで舗装されていない、路面ボコボコの林道を走ったことがあるが、車検のときサスペンション等が相当痛み、作り直しを余儀なくされ、相当な出費をしてしまったことが思い出された。
この神社のために、5万近い出費…。
そして、クマに襲撃されるリスク…。
林道に向けて、バイクのタイヤを動かそうとする。
ところが、林道の奥で、見つけてしまった。
両側にピンと張られたロープに、「通行止め」と書かれた横断幕の存在を。
「これは、行くチャンスを失ったか…」というガッカリと、
『よかった、行かなくていいんだ…』という言い訳にも似た感情が起きてしまった。
今思えば、「行っておけばよかった」と、後悔にも似た感覚だった。
youtu.beというわけで、今回は特別に、小嵐稲荷神社まで、トラックで林道を通って行くという映像が見つかったので、これで追体験していただきたい。
(神社のようすも映ってます)
あと、お詫びといっては何ですが、
ふもとの木沢集落にある、正八幡神社と鎮守の森の画像。
古びた真っ赤な鳥居と、こんもりと高く繁った、小さな鎮守の森が、やけにインパクトがあった。
こんな何かが現れそうな場所でも、遊具があって、子供が遊んでいるんですな。
★人間はどうしてこんな高い場所に住んでいるのか?「下栗の里」
山奥の地図を見ていたら、時々、ものすごく標高の高い斜面に、謎の集落を見つけることがある。
また、秘境を旅していると、道の向こうの山の上に、到底たどり着けそうにない集落を見つけることがある。
「こんなところに人が住めるのか…?」「どうしてここに人が住んでいるのか…?」
疑問が湧いてこざるを得ない集落の代表選手が、
今回の「下栗の里」である。
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地図で見ると、東から西にかけて、登りのグネグネ道があり、
そこに集落が張りついている。
(僕は東から登って、この写真を撮っていた。)
なんと、集落の位置は標高900~1100mの高さ!
集落内は急斜面をグネグネ上がっていくので、200mの落差がある。
人里離れた山奥の斜面に、貼りついているのだ。
土地は極端に少ない。斜面に畑を作らざるを得ない。
家だって斜面に対して細長い形をしている。
上を見れば、急な斜面を見上げるように、集落はまだまだ続いているが、
下を見下ろせば、斜面の畑と、南アルプスの山深い谷底だ。
油断はできない。
「とんでもないところまで来てしまった…。」
そう思った矢先に、地元のおばさんが話しかけてくれた。
おばさん「あんた、この背の低い青い草、何か知ってるか?」
宮充「いえ…、見たことないですね。」
おばさん「これはな、そばでな、9月、10月になったら、花をつけるんだ。」
会話に少し緊張感が和んだ。
集落に入り込んだ後ろめたさが、少し飛んだのだ。
そばを栽培するだけあって、下栗の里の土地は、他の農村と違う作物を作っているようだ。
まず、ここまで平地がなく、川さえないのだと、棚田ですらできにくいのだろう。
なので、やせた土地でも育ちやすい、そばやヒエなどが栽培されていた。
写真は、野焼きをした後だった。
野焼き(焼畑)をすると、その灰が肥料となって、その土を何年か置いておくと、地力が回復して、再び農業ができる土地になって戻ってくるという。
何か所か、野焼き→放置→栽培 というサイクルをしている畑があり、こうして循環型の農業をやっていたのだ。かつての日本人は。
大学の民俗学の授業で、宮崎県の山奥・椎葉村で、日本唯一焼畑農業をやっていると聞いたことがあって、実際に行ってみたが、僕の探索不足か、見つけることができなかった。
しかし、まさかこの下栗の里で、それが見つかるとは思いもしなかった。
道中には、謎の箱があった。
これは…蜂蜜箱?
そう、養蜂だ。中には蜂の巣が入っていて、ミツバチが蜜を持ち帰って、それをいただくための箱なのだ。
これまた地形の険しい山村ならではの特産品ということだろうか。
そんな村にも、「拾五社大明神」といい、神社と鎮守の森があった。
鳥居のすぐ裏には、何かを炊いた跡がある。
社殿は人数人が入るのがやっとな狭さだった。
まさか、を、神社の境内でやっていたのだろうか。
土地が少ないところながらも、工夫して生活していっているのが、村内を走ると、なんとなく見えてくるのだ。
集落の一番上には、駐車場があり、観光バスが停まっていた。
ネットやテレビで「日本のチロル」や「天空の里」と紹介され、知名度が上がったからだろうか、観光でやってくる人も多かった。
彼らは、駐車場から少し歩いた山道にある、集落展望ポイントに行く。
「下栗の里」で画像検索すれば、険しい斜面に立つ集落全体を見下ろした画像がだいたい出てくるが、これらはビューポイントで撮影したものだ。
それはありきたりかもしれない。
一方で、集落の中まで入っていく観光客は、なかなかいない。
たしかに、地元の人が暮らしている場所だから、そこに面白半分で立ち寄られるのは迷惑だ。
こうして、僕がバイクで停まっては写真をバシャバシャ撮る行為は、あまり良いものに写らないだろう。
ただ、絶景を眺めて終わり、だけじゃなく、せっかく都会ではみられないような、山村の暮らしが色濃く出ている場所なのだから、それをもっと体験できるような観光のあり方が出てもいいんじゃないかとは思った。(滞在型の観光とか)
というわけで、今回はこれまで!
次回はさらに、高地をめざします。お楽しみに!