前向き、は根性論に結びついている
前向きであること、ポジティブであることが良いといわれているが、
これは新手の根性論(精神論)じゃないだろうか?
見方を変えることや、笑顔でがんばること、弱いところを見せないこと等が、前向きさだとするなら、前向きさは、「死ぬ気でがんばる」とか「根性出す」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し*1」という根性論を少しやんわりさせたものにすぎないんじゃないだろうか。
しかも、「前向き」には厄介さがある。
それは、それまで根性論や精神論を、「体育会系の根拠の薄いバカ」と笑い飛ばせたのに、「前向き」という人格判定が掛かってくると、それを笑い飛ばせなくなるからだ。
なぜなら、「前向き」体育会系だけでなく、ビジネスマンや文化系の人どころか、肉体や根性を使わないあらゆる人間にまで、「前向き」である事を強いるからである。
「前向き」でいられない人間を、「頭の出来が悪い」とか「感情のマネジメントができない」とか、単純に「あいつは暗いやつ」とか言って、マイナス評価につなげようとするから厄介なのだ。
体育会系でもない、普通の人間にまで、「前向き」や「明るさ」を強いられている。
そして場合によっては、自分の本当の気持ちに沿わない、「前向きさのお題目」*2を自分に押し付け続けることによって、自分をいじめていくことになるのではないだろうか。
「アイツは後向きだから暗い、使えない」なんて言ってないで、前向きさは本当に自然に使われているのか、ちゃんと見た方がいいと思った。