流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

前向き、は根性論に結びついている

前向きであること、ポジティブであることが良いといわれているが、

これは新手の根性論(精神論)じゃないだろうか?

 

見方を変えることや、笑顔でがんばること、弱いところを見せないこと等が、前向きさだとするなら、前向きさは、「死ぬ気でがんばる」とか「根性出す」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し*1という根性論を少しやんわりさせたものにすぎないんじゃないだろうか。

 

 

しかも、「前向き」には厄介さがある。

それは、それまで根性論や精神論を、「体育会系の根拠の薄いバカ」と笑い飛ばせたのに、「前向き」という人格判定が掛かってくると、それを笑い飛ばせなくなるからだ。

 

 

なぜなら、「前向き」体育会系だけでなく、ビジネスマンや文化系の人どころか、肉体や根性を使わないあらゆる人間にまで、「前向き」である事を強いるからである。

 

「前向き」でいられない人間を、「頭の出来が悪い」とか「感情のマネジメントができない」とか、単純に「あいつは暗いやつ」とか言って、マイナス評価につなげようとするから厄介なのだ。

 

体育会系でもない、普通の人間にまで、「前向き」や「明るさ」を強いられている。

そして場合によっては、自分の本当の気持ちに沿わない、「前向きさのお題目」*2を自分に押し付け続けることによって、自分をいじめていくことになるのではないだろうか。

 

 

「アイツは後向きだから暗い、使えない」なんて言ってないで、前向きさは本当に自然に使われているのか、ちゃんと見た方がいいと思った。

*1:元々は戦国時代に、寺に火をかけられて焼死したお坊さんの辞世の言葉じゃなかったかと思う。しかし、現実に火は存在し、人の肌の1/3を焼けばショックで人は死に至るという。この言葉はどう映るだろう。参考

*2:「クヨクヨしてる場合じゃない!切り替えて次のことやるぞ!」とか、言いたくなるかもしれないが、落ち込んだとき、場合によっては、とことん落ち込んだり、休息を取ったり逃げることも必要である。体力や気分を回復させ、自然に元気になっていってはじめて、自然と前向きさに取り組めるのだろう。