大阪の廃村を目指して(後編) 干し柿集落から、ワイルド林道に迷い込む
【前回まで】
大阪府唯一の廃村は、ほとんどが自然に還ってしまったようであった。
しかし、第二第三の今畑廃村は、時代が経つとともに出てくるだろう。
それに、和歌山県や奈良県にも、過疎地は大変多く、廃村となっている村がいくつもあるので、そっちを見る方がいいだろう。
というわけで今回は帰り道。
干し柿を作る独特の集落がある和泉山脈の南側を通り、林道に迷い込み、大阪府側に出るというルートだ。
【今回のルート】
神通温泉(大阪・和歌山県境)→B:今畑集落(?)→C:梵天山展望台→
D:紀ノ川広域農道→E:串柿の里・神野→F、G:謎の林道→H、河内長野(大阪府)
和歌山県の紀北(和歌山市から橋本市にかけてのエリア)を東西に移動するのに、裏ルートとして「紀ノ川広域農道」がある。
道は整備されていて走りやすく、ところどころに梅や桃やミカンの農場が見え、自然の風景を楽しむのにうってつけの道路なのだ。*1
★200年前の村の姿を残す、干し柿の里
広域農道から、和泉山脈を越える道路・国道480号線に乗り、鍋谷峠に入る前の平という集落で外れ、細い山道を進み、「神野」という集落に出る。
この周辺の地域は、「串柿の里 四郷」というキャッチフレーズを売りにしている。
11月になると、串に刺さった柿が吊られ、それがたくさんの橙色のちょうちんのように連なる風景が見所だ。
特に、この神野地区は、茅葺きの里と呼ばれ、茅葺き屋根の建物が今でも村落に多く残っている。
茅葺き屋根と柿の木の間の道を、曲がりくねりながら登っていく。
今でも、200年前のような姿を残している村が、11月には橙色に染まる。
(ちなみに、撮影した時期は5月)
この物干し台のようなものが、柿を吊るす台だ。
11月には、玉をつなぎ合わせたカーテンのように、干し柿が連なっていく。
その期間以外は、農業に転用されているようだ。
また晩秋になったら行こう。
そうして一本道を登っていき、集落のはずれに出る。
山道を通れば、大阪方面に向かう峠に出られるだろう。
そう思っていたが…
甘くはなかった。
★誤って、ワイルドすぎる林道に入ってしまった
いや…、山道にしては、あまりにも不案内すぎる。
里と里を結ぶ道は、だいたい舗装されているものだろう。
しかしこれは、どう見ても林業用の道だ。
見て欲しい。舗装はされておらず、砂利か土むき出しの道だ。
工事車両が時々通行するのか、路面にはしっかりキャタピラの跡が残っている。
鬱蒼とした森が茂り、路肩にはガードレールすらないので、転落したら一巻の終わりだ。
前回の今畑集落へ行く道よりはましだが…
最後まで気を抜けない。
実は、大きな間違いをしていたことに後で気づいた。
集落の少し手前まで戻り、舗装された道を行けば、大阪方面に向かう峠にすぐ行けることに。
そしてこの道は単なる林道で、山の中をぐるぐる回っているだけの道なのだ。
しかし、そんなことに当時は気づいていない。
どうしようと恐る恐るだったが、さっきまで廃村への獣道を走ってきた自信も手伝って、林道を突き進むことにした。
山の稜線を通り、谷を見下ろしながら、約10キロの迂回をすることとなった。
道が途切れたり、獣に襲われそうな不安を抱えながら。
途中、木々の隙間から、神野の集落を見下ろした。
昔話に出てきそうな風景の中を、走っている。
途中、分岐点に出た。ここが一番ワイルド。
辛うじて「道」である。
分岐した先は山の上に続いているようだった。しかし、通行止め。
一瞬どっちに進むのが良いか迷った。
冷や汗が出る瞬間。
発展途上国にありそうな風景に見えてきた。
一瞬頭の中を、山間の村に向かう、荷台に人を乗せて、揺れながら砂煙を上げているトラックバスがよぎった。
右側の道を選択する。
そこから約30分くらい、悪路と戦いながら進んでいった。
ようやく道の出口に差し掛かった。
しかし、最後の最後で重大な問題が!!
ゲートが閉鎖されてしまっていたのだ。
普段は通行止めだという。
まさか、道の中に閉じ込められてしまうなんて…
今までなかった経験に面食らって、思わず写真を撮ってしまった。
…しかし、杭と鎖だけの簡単なゲートだ。道の脇に抜け道があり、
難なく脱出することができた。
危なそうな道は、なるべく通らないようにしよう。
こうして、なんとか舗装道路に戻ってくることができた。
とはいえ、路面状態は悪く、まだ油断できない。
山地の深いところをまだ走っているから、気は抜けないのだ。
日が落ちかけたとき、ようやく大阪府側の山の入り口・河内長野に戻ってきた。
幹線道路沿いのごくありふれた風景、ハイスピードでまっすぐ行き交う車。
安心とともに、日常に戻ってきて、どこか複雑な気分を抱えながら、家路に急いだ。