ご当地グルメブームは、現代の「おふくろの味」を求める流れじゃないか?
旅好きの僕は、旅行先では必ずご当地グルメを食べるくらい、ご当地ものは大好きです。
旅には欠かせないものだと思うんですよ。その土地でしか食べられないものを食べることって。
さて、ここ10年くらい、ご当地グルメブームやB級グルメのブームが来て、地方に昔から伝わる料理にスポットが当たっていますね。
いずれも、何百年、何十年と地元の昔からの店で受け継がれてきた、オリジナルの味として人気です。
さて、どうしてご当地グルメが人気なのかを考えてみたら、
その一方で、何かが失われてきているのに気づいてしまいました。
「おふくろの味」です。
「おふくろの味」?なにその言葉?って方もいらっしゃるかもしれません。
ざっくり説明すると、「幼い頃、親(主にお母さん=おふくろ)が作って食べさせてくれた、それぞれの家庭の味」という意味です。
幼いころから学生時代にかけて、家庭でお母さん、お父さんが作った手料理の味で育ってきたという人も少なくないと思います。
★コンビニの弁当を食べざるを得ない背景
ところが、近年はその習慣が失われてきています。
既に、インスタント食品やレトルト食品*1が普及して、それが食卓にのぼることは珍しいことではないでしょう。
また、コンビニが普及して、弁当のみならず、煮ひじきや筑前煮といった、お年寄りにも好まれ、子供が食べてもバランスが良いような惣菜が普及してきています。
他にも、食材だけを届けてくれる宅配サービスが普及してきています。
調理に時間がかからなくなって、家事の負担が軽減されるのは歓迎されていいことだとは思っています。
しかし、働く人たちは、男も女も、以前にも増して忙しくなってしまい、
調理にかける時間すらなくなっています。
そうなると、子供は、親の作ってくれた料理の味を知らないまま育っていきます。
例えば、子供にお金だけ渡して、「コンビニで買ってきなさい」と言って、コンビニの弁当や惣菜ばかりを食べていることになったり、
親がレトルト食品を、「レンジでチンしてね」と、紙だけ残して置いていったり、
子供の頃の味覚が、コンビニやレトルトで形成されていきます。
それどころか、経済的な理由で、家で満足な食事を取れない子供も増えています。*2
お金がないので、そもそも家で料理を作れない。
貧困状態にある過程のお子さんは、朝食は食べられずに、給食くらいでしか栄養を取れないところもあるそうです。
★顔の見える誰かが作ってくれた味、それがご当地グルメ?
そんな中で、ご当地グルメという、少し前まではあまり見向きもされなかった郷土料理がブームになってきているのは、無関係でない気がします。
ご当地グルメは、最近町おこしのために作られたものは別にして、*3
大体が、町に100年や50年くらい昔からあるような、食堂あたりから生まれて、地元で作り方を取り入れる店が現れて、地元の郷土料理になっていくというパターンが多くみられます。
ご当地グルメを生み出す過程にある、「昔からあるような食堂」というのが大事で、
そこでは、作っている人の顔が見えたり、店の人とちょっと話ができたり、常連になったら客のこともわかってくれて、単に食事を食べにくる以上の関係になったりするような、やりとりが行われています。
その場所で、顔の見える店員が作った、他の店にはない、ただ一つの味。
それは、ある種、「おふくろの味」にも似ているんじゃないかと思うんです。
コンビニやレトルトのような、工場で作られて、誰が作ったかわからないような料理とは違って、*4
目の前の特定の人が作ったことがわかる料理が、
「おふくろの味」に代わってきているような気がします。
10年後、20年後、僕たちの子供世代の人たちは、料理をどのように解釈しているのでしょうか?