流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

薄っぺらい話題よりも、心のこもった意義のある話がしたい(SNS疲れはどうして起こるか)

FacebookとかSNSが嫌になって、これが元でトラブルになったことが、ここ2年くらいでいくつかあった。

実際に会ってたら、気が合う人なのに、

SNSで興味がない投稿の連投を見せられたり、内容のない前向きな発言をしているのを見させられて、

「見なきゃよかった」と同時に、うっとおしくなることが毎日あった。

それがきっかけで、噛みついてしまい、お互い仲が悪くなる、ということが、いくつかあった。

結局その理由って何かと考えたら、

薄っぺらい話題や人間関係が大嫌い」ということに行きついた。

 

★原因は高校時代にある?

僕の高校や大学時代は、日本社会が抱えるあらゆる問題点や、自分と周囲の違いにいつも悩んでいた。

その時の友達は、本しかなくて、図書館に籠って、難しいといわれる本を読み漁ったりして、僕の問題の答えをどうしたら解決できるか、躍起になって探していた。

僕は割と思ったことをストレートに出したり、話をしたがった。

しかし、日本のジレンマのような、薄っぺらくない話を同級生に持ちかけても、

全然取り合ってくれなかったり(…当たり前なんだけどね)

真面目に話がしたいのに、ヘラヘラ茶化されてあしらわれたりすることがずっと続いて、

深い、真面目な、心のこもった、意義のある話が出来ないことに、いつも苛立っていた。

「日本の若者って死んでるヤツばかりだ。」と、絶望した。

あれから十数年くらい経ち、

今では薄っぺらくない話や悩みの話をできる人は増えた。

それでも、薄っぺらいのを装っていないと、相手にしてもらえない風潮は変わらない。

SNSのどうでもいい投稿や、テンションの変な広告をズラズラと見せ続けられたりすると、

高校・大学時の受け入れられなかった感覚を思い出してくるのだ。

無意識に感じていた疎外感が、SNSの上でフラッシュバックしてしまうのかもしれない。

 

「SNS疲れ」、ひいては「SNSトラブル」の原因は、そこにあったのだと思う。

薄っぺらい話題を続ける人に、「いい加減にしろ!僕の話を聞いてくれ!」と訴えたいからだ。

「ハイハイハイ、いいねいいねいいね、ボタン押すだけにしたろか。」と、適当にあしらわないで、会話がしたいのだ。

心のこもった、意義のある話を。