流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

ガガガSPの「オラぁいちぬけた」という曲が、自分を肯定してくれているように聞こえる

たまに聴きたくなる歌。

 

ガガガSPといえば、青春パンクの代表的なバンドとくくられることがありますが、

それに対して「オレは違う!」

「オレはもっと考えてるんだぞ!薄っぺらい内容の音楽ジャンルに入れるな!」と

ノーを突きつけた歌だといえます。

 

その挑戦的な態度と、考えて考えすぎても自分の道を突き進むんだという結び方は、聴いていて爽快です。

 

 

作詞作曲ボーカルをこなすコザック前田さんは、

シャイであまりにも考えすぎる人。

だからこそパニック障害を発症し、人と話すのを嫌がってしまうくらいでした。

 

にもかかわらず

突然やってくる躁や鬱にも

負けずに生きて行くのさ

という心意気を歌っています。

カッコイイ!躁も鬱も飲み込んでやろうじゃないかという覚悟です。

 

 

特に僕が好きな歌詞は、

 

前だけを見つめて生きてる奴らが

俺の隣に座ってる

ちょっとごめんなさいよ 悪かったな

後ろにも俺は目があるんだ

 

 僕は「前向き」って言葉だけを使うのに、結構抵抗があります。

 

過去を振り返ったり、反省したり、悩んで同じところから出られなかったり、立ち止まってしまったり、クヨクヨしたりする、

「痛みを処理している段階」を否定しているように思えるのです。

 

 

なぜ悩むのか?なぜ立ち止まるのか?クヨクヨするのか?

 

人間が生物として生存するために、この感情が存在する必要があったからです。

 

もし、あなたが原始時代に生きていて、周りには常に野生動物が潜んでいて、襲われる危険性に満ちているしたら、どうでしょうか?

野生動物には法律なんて通じません。襲ってきたもん勝ちで、襲われたら一方的になぶり殺しです。

人間の間だって、法律がなかった時代です。無法地帯なら、略奪したり殺したりしても、罪には問われません。

 

その中で、悩み、クヨクヨ、立ち止まる、ネガティブ思考といった、

「後向き」な感情は、どのような役割を果たすのでしょうか?

 

「後ろにも俺は、目があるんだ!」という人間は

どのように役立つのでしょうか?

 

そんな時代は忘れ去られ、あらゆる危険が取り去られた現代に僕らは生きています。

後ろ向きな感情を持つことが良くないとされ、隅に追いやられてしまっています。

 

「悩んでるのなんて、無駄。ポジティブポジティブ♪」なんてのたまっている人がいますが、

人間にとって大事なことを切り捨て、本当に大事なことに目を背けているとしか思えません。

 

 

だけを見つめて生きていくのが不安なら、

後ろを向いたり、横を向いたりする生き方をしてもいいと思います。

後ろ向きに考えるからこそ、見えるものも、得られるものもあるから。

 

『オラぁいちぬけた』は、

後ろ向きに生きる人や、前を向けない人、考えすぎてしまう人への

応援歌だと僕は思っています。