悩んで、自分の弱みに寄り添っておいた方が、長期的にプラス
悩んで、自分を知り尽くそうとすることは、自分の膿(ウミ)を出しきる行為です。
自分の弱いところや、どうしようもなく起こる感情を、良くないと判断するのではなく、
「そういう自分がいる」ということを発見するもので、
膿を出す行為を経て見えたことによって、自分がやっていきたいことに向かっていける。
そんな話をしたいと思います。
悩むこと、弱い自分に気づいて、それと向き合うことは、短期的にいえば、辛いことばかりです。
プライドによって保たれていた自分が、困難に直面し、見たくない自分を否応なく突きつけられることなんです。
自分を守っていたものが崩れるかもしれない、今まで上手くいっていたときのように生きられない、という現実を見なければならないのです。
そんな中を生きてきた自分のマイナス面をとことん見るわけです。
悩むことに慣れていない人なら、いっそ殺して欲しくなるくらい、絶望的な自己嫌悪に叩き落とされることでしょう。
悩むときには、それを一人でも出せる相手がいれば、だいぶ心強いです。
できれば多く、様々な視点の人がいると、より理解が深まりやすいかもしれません。
しかし、悩みや弱みや、どうしようもない欲を出すことや、自分のことについて人に問うことで、
周囲の友達や人間関係だって失うことはあります。
それまで、仲良く接してくれた人が、「この人難しそうだし、辛気臭そうだから」という理由を付けているのでしょう、
段々距離を置かれていくことが、たくさんあります。
それは時に、孤独です。
自分だけが世界に一人、わかってもらえないまま悩んでいる、という心細さを味わうことだってあります。
悩み、弱みに向き合うには、それなりの覚悟が要ることなのです。
悩んだ分だけ、自分に合った生き方ができる
しかし、悩みは長期的にはプラスの作用をもたらします。
大きかったことは、自分が「何がしたかったんだろう」とか「何に苦しんでいるんだろう」と、悩んだことで、
自分が本当にやりたかったことが見えてきたということです。(仕事に限らず)
そして、何に苦しんだかにとことん向き合ったことで、自分がそれを超えて、どう生きたいかが見つかったように思えます。
人間関係も、自分が望む方向に向かいつつあります。
僕は、自分の弱みも出せたり、悩みをバカにしないで語り合える人が欲しかったのです。
「こんな人と付き合いたい」ということを考えつつ、自分が悩みや欲求等のメッセージを発し続けることによって、
それを受け止めてくれる人や、語り合える人が残ってくれました。
(僕の弱みや悩みに耐えられなかった人は、たくさん去っていきましたが。)
また、残ってくれた人に加え、僕が思っていることに共鳴して、新たに、同じようなテーマを持っている人と人間関係を持つことができるようになりました。
こうして残ってくれた方、ついてきて下さった方には、今でも感謝しても感謝しきれないくらい、得難い存在です。
いわゆる「親友」のように、心を通わせてつきあえているので、幸せなことだと思っています。
自分の弱さや欲求を基準に合わすことで、
自分のライフスタイルや人間関係が、悩む前より軽くなったように思えます。
悩みや弱みを出すことは、最初は苦しい修行のように思えてきますが、
プライドや常識を捨てれるようになって、自分のやりたい方向が見え、突き進めるようになれば、
そこから自分が変われたように思えます。
今は悩んで苦しい、周囲と自分が違っていて悩むかもしれませんが、
悩んで、自分は本当はこうしたい、という答えを出して、それを少しでも実現できるように考えていけば、
「あの頃があったから、今の自分がいる」と思えるようになるかもしれません。
みなさん、今年も良い春を!