流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

尊敬する人と一緒にいる時、起こる負の感情

友達で、自営業で生計を立てているA君や、同じ職場の同僚で、自分を助けてくれるBさんといると、「スゴイ、尊敬できる。」と素直に思える。

しかし、同時に気づかないうちに、コンプレックスや妬みを持っていることに気づいた。

就労が不安定で、収入が少なくて、自分の長所や発信すべきところもわかっておらず、くすぶっている自分からしたら、

彼らと話していると、自分が彼らに比べて何もできない劣った人間のように思えてきて、自己肯定感が揺らぐ。

特に、時々僕を突き放す言動をするとき、妬みがあふれ出しそうになる。

コンプレックスは、彼らが(出来る人間として振る舞い)、僕の状況に合わせて話をしなかったり

とりわけ仕事やビジネス関連で、僕が彼らより出来ない人間だということを見せ付けられるときに、直面してしまう。

自分がそれが出来ないのだ。

時々、「うるせえ!出来る人間みたいな言い方しやがって!」と反発したくなってしまうのだ。

名言や人生訓や、どこかで聞いたような「ゆっくりやればいいんですよ」といった、

言い切り型の前向きワードを言う人に殺意を覚えることがある。

「お前、そんなに偉くないのに、そんなに上になりたいか?」反発したくなるのだ。

いくら役に立つ言葉でも、自分の上に立とうとする人間は、払い落としたくなる。


また、この名言が、一人ひとりの特性に合っていないのだ。

たとえ本人を前にして、前向きワードをいっても、相手の状況に合ったものでなければ

ただの「言いたいだけのヤツ」にしか見えないのだ。


自分は、相手と対等で、同等(か、自分が少し上)でいたいのだと思う。

下に見られるのも、扱われるのも嫌だし、

上に見られて、祭り上げられても悪い気はしないが、僕のために労をさせてしまうのも、気が引ける。

また、上に見られることで、嫉妬心を抱き、僕を刺しにくる人もいると思うと安心できない。

同じ目線がいいのだ。「天は人の上に人を作らず」がいい。