成長段階に応じた環境にいられないから、コンプレックスが積もる
学生時代の僕は、いわゆる「コミュ障」といわれる人でした。
友達の作り方がわからず、人に違和感を持たれずに接してもらえる方法がわからないまま大学に進んでしまって、いつも一人、いけていない人に見られていたようです。
そんな一人だけの僕の周囲は、
男の人と女の人がグループを作って自然に楽しそうに話をしているのとか、
学生のカップルがいちゃいちゃしているという、
大変うらやましいものでした。
★コンプレックスが積もりやすい環境
そんな僕以外が楽しそうな中を、僕一人で、変な人に思われないようにやりすごさないといけなかったので、
僕は次第に他の大学生との「差」を、ぎしぎしと実感させられていったのです。
とにかく悔しかった。
友達も欲しかったし、恋人も欲しかったし、
不真面目に過ごしている彼らを、いっぱい勉強して見返して、就職で見返してやろうと思っていました。
普通の人に追いつくために、コミュニケーションの取り方や人間関係づくりのやり方を、必死に学んで、あれこれ実践していったものでした。
その甲斐あって、今はなんとか、コミュニケーションや人間関係は、それなりになってきましたが、
学生時代に自分にないものを見せつけられて、コンプレックスを植え付けられてしまいました。
若い人が苦手、女性が苦手というのも、この時期に付けられてしまったように思えます。
★成長段階に応じた環境に居られたなら
だけれど、今思えば、
学生生活をこれでもかと楽しんでいる姿を見せつけられることがなければ、
あんなねじれた感情が湧き立たなかっただろうと思えます。
高校時代の僕は、大学時代と対照的に、異性との恋愛に本当に興味がない高校生でした。本当です。
周囲の女性は好みの人がいなかったし、むしろ怖いか、興醒めさせるような存在でした。
それ以上に僕は、読書や旅行や歴史といったものに夢中になっていて、女性より面白いものだと思っていました。
同年代の男子たちは、ノリが軽い人ばかり。
だけれど、彼らは成績が悪いので、彼らが遊んでいる間を縫って勉強して、偏差値の高い大学に合格すれば、彼らにざまあみろと言える「救済」が待っているのでした。
なので、つまらない同級生は無視して、勉強ばかりやっていました。
よくよく考えてみれば、自分のコミュニケーション・サヴァイヴ力の無さを突き付けられることのない環境にいました。
「高校時代は灰色」と言いながらも、大学時代よりは精神的に安定していたと思います。
何が言いたかったかというと、
僕のスキルのレベルに合わせた環境にいて、少しずつレベルアップをはかっていくことができれば、同時に少しずつ自信を手に入れられたんじゃないか?という話です。
大学に入ったときの僕のコミュニケーションスキルレベルは、小学生低学年並みだったと仮定します。
しかし、周囲のスキルレベルは大学生です。
小学校低学年が、大学生と肩を並べて、コミュニケーションをとって、人の信頼を取らないといけないのです。
勝てるわけがないでしょう。大学生にとって、僕は赤子の手を捻るような存在でしたから。
そんな、勝てるわけがない大学生の中で、小学生レベルの僕が、一人つまらなそうに悶々としています。そりゃ「出来ない」コンプレックスが募るでしょう。
★等身大の自分を手に入れるには?
それなら僕は、コミュニケーションスキルを、小学生レベルからやり直した方が良かったんじゃないかと思いました。
具体的には、同じようなレベルの人間が周囲にいて、その人たちと過ごし、少しずつ成長していくというものです。
同じレベルなら、人と比べて「こいつに勝てない」と肩を落とす必要もないですし、
安心して、スキルの積み上げができるのではないでしょうか。
恋愛に興味がなかったのに、イチャイチャカップルを見せつけられて、「自分も恋人を作らねば」と焦らされることはなかったでしょう。
人と比べるから、自分はダメだと、自己肯定感が削がれていく。
しかし、レベルに応じた環境があれば、自信がなくなるということも、コンプレックスが募るということも少なかったのではないでしょうか?
成長のスピードは人によって違います。
その人に合った成長の場があってはじめて、「自分はこうなりたい」と、他人に影響されないで思えるようになれるんじゃないでしょうか。*1
「等身大の自分を手に入れる」
そのための場を具体化するのは大変かもしれませんが、
それがあればいいな、と思える場を目指すことは、1mmでもできるかもしれないと思います。*2