「東京オリンピックに期待します」ばかりの論調から、日本人の将来観を考えてみた
テレビは毎日リオ五輪。
日本人選手が活躍して、メダルラッシュで、オリンピックに目が離せない2週間の真っ只中です。
見ててすごいですよ。卓球の水谷選手が激しい食らいつきの末に銀メダルを獲得したり、レスリングの伊調選手が4連覇したり、知らない日本人選手がどんどんメダルを獲得していったり、目を離せない、驚きの連続なんです。
でも、勝っても負けても大体このセリフでしめられます。
「東京オリンピックで活躍して欲しいですね。」
もう何をやっても、4年後の東京オリンピックのことに結び付けられます。
なぜ、今、この瞬間に注目できないんでしょうか?
目の前のリオ五輪を必死に戦って、エキサイティングな試合を見せてくれているのに、
「4年後の東京オリンピックのためにどうお考えですか?」とか「今回は残念でしたが、東京オリンピックではリベンジを…」とか、そういうインタビューに結び付けられてしまうんです。
リオ五輪を「東京へのつなぎ」のようにしか思っていなかったり、
リオ五輪より東京の方が大事と思わせるようなインタビューやスポーツニュースが、多すぎではないでしょうか?
たしかに、東京オリンピックは、国を挙げた超巨大イベントで、日本人の注目度が高いのはわかります。
オリンピック招致の頃から、「五輪が来る」ムードに沸き立っていましたし、東京五輪に対して着々と準備が進んできて、盛り上がりは高まっています。
僕だって、世界レベルの競技を、日本で、目の前で見てみたいという気持ちはあります。
しかし、今のリオ・オリンピックだってとても面白いじゃないですか?
4年後の東京オリンピックに期待しすぎて、それが全てだったら、
どんなに目の前で日本人が大活躍して、メダルを沢山獲得したり、期待の選手が次々現れても、「まぁ、東京五輪じゃないからねぇ…」と冷めた目になって、何も楽しめないのではないでしょうか?
将来のことばかりを考えすぎる日本人
日本人の多くは、何もかも「将来のために」で行動しているのではないかと思えるくらいです。
子供が将来いい大学に入って、一流企業に就職するために、幼稚園からお受験させる。
優良企業に入って、キャリアを積んで、将来活躍するために、20代は仕事に専念して遊ばない。
老後のためにやりたいことを我慢して、定年まではひたすら働く。やりたいことは、老後になってから…
その分、今楽しむこと、好きなことをやることを、犠牲にしているようです。
何が面白いのでしょうか?
将来の安定のためでしょうか?
人から後ろ指さされないためでしょうか?
皆と同じようにしていないと安心できないのでしょうか?
生命維持の本能でしょうか?
もし、その予定が狂ってしまったり、老後に体の衰えでやりたいことができなくなってしまったらどうするのでしょうか?
計画通りにキャリアや経歴を積んでいって、全て計画通りにいくでしょうか?
目標を達成する途中で、死んでしまうこともあるかもしれません。
今、面白いネタが転がっているのに飛び込まなかったり、
美味しいものがあっても、飛びついて味わわなかったら、その楽しみは二度と来ないじゃないでしょうか。
いや、「楽しいのは二度と来ないから、今楽しんどけ」と言いたいのではありません。
将来のことを考えるのはいいけど、そればかりに捕われてしまって、今を楽しんだり、今に注目したり、できなくなっては、人生を楽しめなくなるんじゃないでしょうか、と言いたいんです。
だから、東京オリンピックだの、変なことを置いといて、
今の残り少ないリオ・オリンピックを、しっかり見て楽しみたいな、って思ってます。
あ、それと、8月21日の男子マラソンに出る、猫ひろし、ガンバレ!