早寝早起きに切り替えて、3週間くらいが経った結果
8月末に、4日間の九州ツーリング*1に行ってきた。
毎朝5時、6時に出発するスケジュールを組んでいたので、どうしても早寝早起きは必須だった。
この旅行先での早寝早起きに順応するために、その1週間前から早寝早起きの練習を始め、ついでにそれまでの遅寝ギリギリ起きの習慣を改善するために、現在も早寝早起きを続けている。現在でだいたい3週間くらい。
簡単に現在と以前を比べてみた
就寝 起床 睡眠時間 ストレス&焦り
(以前) AM2~4時 AM8~9時 4~6時間 大
(現在) PM10~12時 AM5~7時 6~7時間 小
早寝早起きで良くなったこと
- 睡眠時間が改善した。
自分にとって必要だった6時間以上の睡眠が確保できるようになり、昼間の眠気が減った。 - 何より、朝目覚めるとき、焦ったり、急いだりして、無理やり自分を起こす必要がなくなった。*2
タイマーをセットした時間から、二度寝を含みながらも、ゆっくりと起きていけているので、心身への負担も少なくなった。 - そして朝方は、出勤前に2,3時間の作業をする*3ことができる。
夏場は日差しの強くない、涼しいうちにやれるのが良い。*4 - 朝食による、胃への負担が減った。
僕は胃が弱いので、朝は米でなくパンを焦りつつかじっていた。
しかし、ゆっくりと朝食をとる時間ができ、焦ることなく米を食べることができるようになったので、朝食が胃への負担少なく食べられるようになった。 - SNSと距離を置けるようになり、少しだけ精神衛生上良くなった。
SNSでのノイズの多い情報から距離を置けるようになり、単なるツールとして割り切れつつあるかもしれない。(まだ出来きれない)
とりあえず、夜、SNSを見ながら、自分と他人のうまくいかない関係について、悶々しながらダラダラ起きている、精神的に良くない時間が減った。
まだ残る課題
- 僕の目標は朝5時に起きることだ、しかし、これがなかなか達成できない。
タイマーをセットした時間から、1時間くらい後に、ダラダラ起きてしまう。
これを損だと思っている自分がいる。*5
丁度いい早寝早起きって何だ?
正直、この早寝早起きは、やってもやらなくてもいい習慣だ。
けれど、それまでが寝る時間が遅すぎだし、睡眠時間も少なかったし、起きて出社するまでの準備時間にゆとりがなくバタバタだったので、問題はあった。
かといって、朝5時に起きる必要もない。
多分、「課題と"思っている"」、朝5時に起きることができないのは、
5時に起きてまでやりたいくらいの強い動機がないからだろう。
例えば、「5時の始発電車に乗って、できるだけ早く名古屋に着いて、遊びまくる」みたいな動機があれば、早起きはできるだろう。
しかし、すごく早起きしてまでやるべきことは、大して無い。
だからこそ、朝6,7時まで寝てしまう。
7時間以上は寝てしまう。本当は目標の6時間寝て、スルッと起きることだけど。
けれど、逆にいえば、自分にとって丁度いい睡眠時間は、7時間以上だと、体が教えてくれているのかもしれない。*6
まだまだ自分の心身と対話を続けながら、自分にとって丁度いい生活習慣を見つけていきたいと思っている。
いい人物は、そもそも前向きかどうかなんて、言ったりアピールしない
人の心を見ると、「自分に不足しているものを口にする」法則があるように思う。
優しくなりたいと思ってる集団を見れば、実は人に優しくできない人だったり、人から優しさを求めている人たちだったり。
その法則に当てはめるなら
前向きでなきゃ、とか、わざわざ明るく見せる発言をする人は
その人本人が前向きでない、明るくないということを、表しているのである。
続きを読む前向き、は根性論に結びついている
前向きであること、ポジティブであることが良いといわれているが、
これは新手の根性論(精神論)じゃないだろうか?
見方を変えることや、笑顔でがんばること、弱いところを見せないこと等が、前向きさだとするなら、前向きさは、「死ぬ気でがんばる」とか「根性出す」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し*1」という根性論を少しやんわりさせたものにすぎないんじゃないだろうか。
しかも、「前向き」には厄介さがある。
それは、それまで根性論や精神論を、「体育会系の根拠の薄いバカ」と笑い飛ばせたのに、「前向き」という人格判定が掛かってくると、それを笑い飛ばせなくなるからだ。
なぜなら、「前向き」体育会系だけでなく、ビジネスマンや文化系の人どころか、肉体や根性を使わないあらゆる人間にまで、「前向き」である事を強いるからである。
「前向き」でいられない人間を、「頭の出来が悪い」とか「感情のマネジメントができない」とか、単純に「あいつは暗いやつ」とか言って、マイナス評価につなげようとするから厄介なのだ。
体育会系でもない、普通の人間にまで、「前向き」や「明るさ」を強いられている。
そして場合によっては、自分の本当の気持ちに沿わない、「前向きさのお題目」*2を自分に押し付け続けることによって、自分をいじめていくことになるのではないだろうか。
「アイツは後向きだから暗い、使えない」なんて言ってないで、前向きさは本当に自然に使われているのか、ちゃんと見た方がいいと思った。
立派じゃない人間が、自分のレベルを超えた振る舞いをして潰れそうになってる。
僕は何も変わってないと思う。
人間のレベルなんてすぐに上がらない。
今まで書いてきた記事の多くは、「読んでもらうために」「自分をポジティブに見せ」「役立つように見せる」ための、
「自分を大きく見せる」記事だった。
実際、僕のレベルは変わらない。
だというのに最近、ポッドキャスト番組がそこそこ知名度が上がっていき、さまざまな方と接触する機会が増えてきた。
また、現在自分がいる場所の人間のレベルが低いから、レベルが高い人間たちと付き合おうとして、必死に自分を造り、アピールし、売名行為をし、自分が「地獄と思っている場所」から這い出ようとしていた。
自分ばかりが助かりたいと、周囲の人間を見下しながら、糸を登っていこうとしていると思う。
しかし、糸は切れかかっている。
僕から見て周囲の人間は、あまりにも「レベルの高い」人間だった。
僕は幼児期に満たされなかった親からの愛情を満たされたいがために、周囲の人に求め、満たされず苦しい思いをし、
小学、高校の頃に受けたいじめ(特に女子から)の傷で、女性が怖くなってしまい、
仕事では、うまくいかなかった傷が積みかさなかっていた。
僕はその問題をいまだ解消できないでいる。
人と関わることが本当に怖いまま、赤ちゃんのように泣いて、満たしてくれと要求するしかできなくなっていた。
そして、僕から見て「レベルの高い人間」は、それらの問題を解決し、
僕を「過去を振り返っても何も出来ない、前見て動け!」と唾棄できるくらい、
とっくに前に進んでいける人たちなのだ。
僕からすれば、あまりにもレベルが違って、置いてきぼり感しかないのだ。
けれど、僕はレベルの低い場所にも居たくない。
けれど、レベルの高い人々もしんどい。
だというのに、僕は周囲からの知名度ばかりが上がってしまい、多くの人が聞くようになって、他の有名な「立派な人」と同じような振る舞いをしなければ、落とされると怖くなっている。
僕は、自分に闇を抱えまくっている。
本当はこれを知ってもらって、それを踏まえて、他の方と付き合っていけたらいいなと思っている。
なのに、この闇を上手く表現しなければ、僕は誰からも相手にされなくなると、怖くなってしまい、外に出せなくなった。
何度も闇を出そうとした。けれど、それが失敗し、今まで知り合った人からは
「重い人」「コメントしづらいからスルーしとこう」と、離れられていっている。
また、「それより楽しい話題出せよ。」「あんたは旅の話だけしといたら、好印象に見られるからいいよ。」と言われる。
僕は半身が明るいのを装っているが、
もう半身は誰も理解してくれなくて、悲鳴を上げていた。*1
正直言って、皆がナチュラルに自分の喜怒哀楽を表現できているのに、
僕はそれがうまくできず、身の丈に合った振る舞いや感情表現ができないので、
誰かに代理して、明るくてとっつき易くて楽しくて社交的な振る舞い(SNSとか)を、頼みたいって思ってる。自分の印象が悪くなるのは、損だと思っているから。
いろんなことを一旦休止して、
僕は自分のレベルと同じような、安心できる場に身を置いて
自分のレベルに合った発言や行動をしたい。
「成長しないやつは人間じゃない」という風潮の中で、振り回されるのはごめんだ。
そんなのは現実に無理だととか、甘えだろうと思うだろうけれど、言うだけは言わせて欲しい。
助けてください。
*1:「わかってくれ」と言って、自分のことばかり他人に要求している人間は、そのレベルは赤ちゃんと同じである。しかし、僕の情緒はその程度までしか育つことができずに停まり、周囲の大人と同じレベルのことを急に要求され、それに応えるために、「わかってくれ」という言葉を、普段は殺している。本当は赤ちゃんレベルの僕の情緒や精神年齢を、そこから育て直す必要があると思う。
ブログに振り回されてた しばらくぶりな理由
ブログでログが残るというのに、ツイッターのようにすぐに流れていって、前の記事のことなんて誰も省みられなくなってると感じてました。
それが「消費されて終わってる」と感じたり、誰かに引用されるわけでもなく、ただ一方通行のやり取りに、力を使いまくってたんで、疲れてやめてました。
「見返りを求めない」をモットーとしていたのですが、
それを忘れて、力の入ったものをやってしまい、*1それに対してリターンが欲しいと思うようになり、リターンが返ってこないので、やる気力がなくなってしまいました。
他人の目を意識するのは本当に良くないですね。
自分の行動がそれを集めるために動かされてしまう。
「ブログに振り回されてた」んです。
なので、書きたい、残したいものがあったとき以外、書かない方針にします。
1日2千文字を書く人が知り合いにいますが、僕はその人の真似をしても仕方ないです。
その人の自然が1日2000文字なわけで、僕は別のアウトプットの仕方があるだけなんです。*2
男性への差別を感じるのですが…
togetter.comこれを受けて、書いたこと。*1
僕も女子が多いクラスにいたのでわかる。
こういう場で女子への苦手意識を植え付けられ、僕はアンケートの中の人みたいになってしまった。
社会を敵視しても仕方ないと思うけど、女性への差別もあれば、立場が弱い男性への差別は存在するし、それを支持する構造に皆呑みこまれてるよな、って思った。
あと、学校どころか社会に出てからでも、日本人って「対話」することが出来てないって思う。
お互いの意見や立場を出し合って、でも相手を変えようとするとか勝ち負けをするわけでなく、分かり合った上でどうするかを決めることを、誰も教えないで、ノリやパワーゲームばかりの中に放り込むのは、変だよ。
それが学校で見た人たちの姿と、異性間での対話が不可能という、どうしようもない現実だった。
同じ日に、「男性差別」について書かれた記事があったので、書いてみた。
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