流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

自分が潰される前の、自分に向き合ってみよう

僕が好きな音楽って、何があるんだろう、と頭をひねって考えることがありました。

そうしたら、僕が小学校低学年だった1990年代前半のJ-POPが好きなのと、

僕が中学生の頃の95年から98年にかけてのJ-POP、そして、中学生頃に聞いた合唱曲が好きだな、と思い出しました。

僕の小学校低学年頃と中学時代は、「あの頃に帰りたい」と思えるくらいの良い学生時代を過ごしていて、自分がやりたいように振舞ったり友達ができたり、

中学時代は、悩んだり語り合ったり、学生らしい学生生活を送れていて、「これが青春だ!」と実感していたりと、楽しい時期でした。

しかし、その後、小学校中学年以降と、昔住んでいた鳥取県から大阪府への転勤にともなう高校進学以降は、

本当にひどい時期で、自分の自信をことごとく潰されたり、コンプレックスを植え付けられまくった、反発と挫折の時期だったと思います。

自分が負けて潰されないために、鳥取県の小学生時代では「僕の両親は、大阪出身なんだ!僕は都会出身だから、お前ら田舎ものと違ってエライんだぞ!」などと、自分を大きく見せたり、

大阪府の高校では、女子に興味がなかったのに、「彼女いないの?」「女友達いないの?」とちょっかいを出してくるので、「僕は地元に彼女がいる。」とウソをついて、なめられないようにしていました。

その頃に見たものは、偏見なく見れるものの、どこかにうっすらネガティブなイメージを見ているように、今でも思えます。

「良かった」時期と僕が好きだった時期の歌が重なっているのは、

「自信がつぶされる」以前に表現していた、自分の価値観に近かったからだと思います。

(90年代前半のJ-POPは、KAN槇原敬之ZARDのような、「がんばれば夢は叶う」とか「明日に向かって進もう」、「友と一緒に助け合おう」といった、前向きで優しいメッセージをストレートに歌ったものだから、気持ちが良かったのだと思います。

合唱曲も、そんなところが通じていますね。)

そんな、「自分が潰される」以前に好きだったものを見つめてみると、

自分の一側面が見えてくるかもしれません。

★自分の価値観・感性の原点が見える

「自分が潰される」(挫折する)ときに、人は、周囲への壁を作ったり、自分を偽ったりして、対処法を覚えていきます。

それがない状態というのは、その人の本来の姿を映しているのです。

「自分が潰される」前の時期のことを、いろいろ思い出してみましょう。

それがあまり覚えていない場合は、親や兄弟や親族に聞いてみるといいでしょう。

自分が潰される前の時期がフォーカスできたら、次のことを思い出してみましょう。

  • 好きだったもの
  • されて嬉しかったこと
  • なりたかったもの
  • 周囲の環境(家庭、近所の地理、友達、流行っていたもの、時代背景…)

……などなど

その頃を思い出してみたら、

自分は、本来どのようなものが好きか、とか、どのような環境だと落ち着くのか、なんとなくの理想像…

といった、価値観や感性の原点が見えてきます。

また、好きだったものの中から、無条件にハマれるものや、「これをやっていれば、自分は落ち着いていられる。」というものが見えてきます。

それは、自分の心のより所となるものなのです。

プラモデルを作るのが好きだとか、水遊びが好きでずっとやっていられるとか、

そういった子供の頃に好きだったことを思い出して、もう1回やってみると、

案外面白いことが見えるかもしれませんね。