いらないと言われたものが、あふれている。かわいそうに思う
世の中には、必要以上にモノが多すぎると思うのは、僕だけだろうか。
家に売りに来ては断られるフルーツの訪問販売。
頼んでもいないのに付けてくれるおまけ。
別に遊ばない回転寿司屋のガチャガチャ。
もらっても使う予定もないまま置いている、贈答品。
いらない。
相手にすれば、「ほんの気持ちです」のつもりなんだろうけれど、
僕はこうした「使わないもの」を目にすると、うんざりしてしまうのだ。
そして自分の持ち物になると、とたんに、「いらないもの」になってしまうのだ。
本当はさっさと捨ててしまいたい。
だけれど、未使用のまま捨てるのは、使われるために生産されてきたモノ達にとっての使命を全うさせることができないので、かわいそうになる。
人間に置き換えてみよう。
「いらない子」扱いされるまま、家に放置されたり、時々「そろそろアレ捨てないとね。」と言われるのは、どんな気持ちだろうか?
「自分には必要なくても、別の人にとっては必要だ。」というのはわかっている。
たとえ子供だましなオモチャで、3日だけの子供の遊びたい心を満たすためでも、その子供にとっては重要だ、ってことはわかっている。
だけれど、それが飽きられてゴミ扱いされた後はどうなるだろう?
世の中にはそんなものがあふれている。
そして、そんないらないものを売って収入にして、世の中に回していくために、経済は回っている。
いらない子をたらい回しにするために、経済市場が存在するようにも思えるのは、さすがにうがった見方過ぎだろうか。
今日も自分にとって価値のないものがあふれ、そのたびに疲れてしまう。*1
*1:モノの過剰さは、日本の景観に似合わない気がする。しかし、東南アジアの街や市場のように、モノが過剰にあるからこそ、雰囲気が出るという場もある。一概にはいえない。