「考えすぎで重い」人にだって、価値がある~価値とは何か?~
最近、よく話す人がいます。
その人は
「自分は何をやっても人並み以下で、自分に魅力なんてあるとは思えない。」
「物事を深刻に考えてしまう。他の人が『考えすぎないで、気楽にやろうよ』と言っても、気楽にできない。」
「考えすぎで重く考えるから、身の回りから人が離れてしまって、自分と深く語れる友達ができなくて困っている。」
と、語ってくれました。
魅力。
顔がかっこいい・かわいいとか、ポジティブで仕事もできて面白いということが良いという、「一般的なモノサシ*1」では、魅力的とはいえないかもしれません。
競合する相手が多すぎるので。
しかし、「考えすぎ」な人も、ある方面では魅力的ではないでしょうか?
★何でもかんでもポジティブが良い中では、共感する人もできる
誰もが、普通や一般人であることに憧れ、
みんな一方向に向かって進んでいこうとしているように見えます。
そんな中で、なんでもかんでも明るくて、前向きなことが良くて、ウジウジしないで切り替えが速いことが良いとされています。
多くのビジネス成功書や自己啓発本には、そんな文字が躍り、今日もよりよい人間になれない人のマインドを揺さぶっています。
しかし実際は、それについていけない人、ついていけず悩んでいる人、ついていけても心のどこかで疲れている人、それに気づかない人、別な価値観に行きたい人もいるのではないでしょうか。
そんな中で、「考えすぎの人」は、一本しかない価値の尺度のあり方に疑問を投げかけ、
「こんな人もいるんだ、普通と違った価値観があるから、自分は大丈夫なんだ。」と安心させてくれるような存在に受け取る人もいます。
「悩むなよ」と、ある人には否定されるかもしれませんが、*2
「一生懸命悩んで、自分のテーマに向き合って、ちゃんと生きようとしているんだ。」と、魅力的に映ることもあります。
見てくれる人は、見てくれます。
★悩んでいる人に寄り添えるなら、「考えすぎ」も光る
そんな中で、自分が考えすぎてきたり、悩みまくってきたことが、活かされるかもしれません。
今は悩んでいて、とにかく自分の悩みを聞いて欲しい、自分のことを肯定してくれる人が欲しいと、余裕がないかもしれません。
しかし、何かのきっかけで余裕ができるようになって、
人のことを考えたり、共感したりしてあげる余裕が出てくると、
それまで「考えすぎた」経験は、能力に変わると思います。
それは、悩んでいる人や、同じように考えすぎな人の悩みに、耳を傾け
深く共感することができたり、悩みの中から、その人の気持ちを汲み取ってあげたり、自分が経験したことを、提供してあげたり、別な視点を提供してあげたり、
誰かの役に立つことができると思います。
一般的には、「そんなの誰だって出来る」と、魅力的でないように思われるかもしれませんが。
深く考え、考えすぎて悩んだ人の「共感」や「回答」は、大して考えてこなかった人と違って、「厚み」や「深み」が違います。
そうなれたら、いつの間にか周りに、その人を慕って人がやってくるし、充分魅力的です。
今の活用例は、ほんの一例でしたが、
「考えすぎ」て「悩んだ」ことから、自分の方向性を見出すことが大事なのです。
自分の「考えすぎ」を大事にしてください。
悩み続けて、自分がテーマにしていることを見つけにいったり、会いたい人物に会いに行ったり、行動して、刺激を受けて、自分の中での変化を見つけてみてください。
それが、自分をちょっとでも肯定的に見れるきっかけになるでしょう。
以上が、元・考えすぎ人間からのメッセージでした。
みなさんも、「一般的なモノサシ」で勝負しに行こう(勝負させられにいこう)としていませんか?
それは、一般的なモノサシで勝てる人の土俵に乗っかって、ハマりにいっているのではないでしょうか?