すごい日本奥地紀行【南信州編】 第10回 五郎丸ポーズの仏像(最終回)
【第9回】
大阪→→馬籠宿→(長野県)妻籠宿→→ 遠山郷→下栗の里→ 諏訪大社→奈良井宿
→御嶽神社→(岐阜県)御嶽パノラマライン→下呂温泉(3泊目)
4日目、朝早くから出発し、大阪を目指した。ところが――
★外から丸見え温泉
下呂温泉の名物といえば、川沿いにある温泉「噴泉池」だ。
いつでも誰でも入浴できるが、
壁がないので、丸見えなのである。
温泉街には、橋があるのだけど、その上から素っ裸が丸見えだ。
もう逃げも隠れもできない!
そんな恥ずかしい体験を1回はしておこう、と思って、思い切って噴泉池にやってきた。朝6時に。
だって、早く出発して、早く帰りたいんだもーん…
通りがかる人が、2,3人しかいなかった。
入っているのは、僕独り。
海パンをはいて、湯につかっている。ぬるめだ。
途中、入浴しようとしていた夫婦がやってきた。
夫だけが入ろうとしていたが、なぜか着替えようとしたタイミングでやめて去っていった。
そのとき、僕は風呂を出て、着替えている最中だったので、
あちこちを隠しながら、恥ずかしくない格好に戻っていった。
自分が裸で、目の前に服を着た人がいる日常空間が広がっているのは、やっぱり恥ずかしかった。
★大阪まで280キロ その道は雨…
朝7時。大阪に向けて出発。岐阜市を目指し、長良川に沿って海に出て、三重県を通って大阪に出るというルートだ。距離は280キロ。オール下道だ。
それまでずっと晴れや曇りで持ってくれていた天気だったが、よりにもよって一番移動しなきゃいけない日に、雨が降っているというので、気が重かった。
出発してしばらくは雨が降っていなかった。
降り出すまで、できるだけ距離を稼がなければ…
ところが、たった10キロ走っただけで、写真のように雨が降り始めた。
いそいそとレインコートに着替え、速度を落としてスリップ事故を防ぐ運転に切り替えた。
飛騨によくある、渓谷のそばを走る道には、霧がかかっていた。
しかし、雨はまた10キロ走ったら止んだ。
今日はにわか雨。降ったり止んだりを繰り返す。
路面が乾いている間に距離を稼ぎたい。
それにしても、「平成ノブシコブシ」みたいな名前の道だなぁ。(岐阜県道58号)
★五郎丸ポーズのアレ
岐阜県も南部まで下りて、関市まで来た。
午前9時、雨は止んだままだ。
ここ「関善光寺」は、お目当てのものが2つあった。
一つは、「卍戒壇」。
お寺には、「戒壇(かいだん)」という、仏様の胎内をめぐる場がある。
中は真っ暗で、声を立てずに、迷路のような道をひたすら壁伝いに進むというものだった。
戒壇では、真っ暗な中で、錠前を探すことが良いとされる。
錠前は仏様と繋がっていて、探し当てられたら、ご利益がある、ということだ。
暗闇に慣れるのは少し時間がかかった。入ってしばらくは声を立てたかった。
しかし、黙々と進んでいると、ひたすら「錠前はどこ…」「出口はどこ…」以外のことは考えなくなっていた。
5分くらい経っただろうか、出てきて、外の光がまぶしかった。
それまで出せなかった声や感情があふれだし、お寺のおばさんにあれこれ話しかけていたのを覚えている。
もう一つの目当ては、大日如来像だ。
手を見て欲しい。五郎丸のあのポーズをしている!
元々中国で作られた仏像で、日本ではこのポーズは少ないが、中国では結構いる手のッポーズらしい。
ここ1年でネットで話題になり、今では訪れる人がとても増えたそうだ。
絵馬には、ラグビー選手が書いたと思われる「○○大会で優勝できますように」という願い事が書いてあり、密かにラグビーの聖地化していた。
★顔のすぐ前まで迫れる?岐阜大仏
午前11時、岐阜市まで来た。
日本三大大仏の一つといわれる、岐阜大仏を見るためだ。
大仏が鎮座しているのは、「正法寺」。
ちょっと変わったつくりをしている。
お寺に入ると…、見上げるような高さに、巨大な大仏がいた。
薄暗い寺の中で、鈍く輝いている姿は、やっぱり神々しい。
首を90°上げて、見上げるのがいいんですよ、大仏様は。
ちなみに、高さは約13m。
4,5階建てビルの高さと同じくらいだ。
後ろ横から。
大仏様の服が、横顔が、雲のような彫刻が、とても迫力ある。
この迫力、写真や動画では伝わりにくいのが残念だ。
腕から垂れ下がった数珠もでかい。
ひと球がどのくらいの大きさだろう…。
数珠は人間がブランコのようにぶら下がれるだろうか…。
登って比べてみたくなる。
ちなみに、1950年代の伊勢湾台風の頃までは、大仏のすぐ横に階段があり、
そこを登って、大仏の顔のすぐ横まで来れたり、上から大仏の顔を拝めたという。
現在は階段が老朽化し、危険だということで立ち入り禁止になっている。
改修工事を待望したい。
★長良川と墨俣一夜城
岐阜からは長良川に沿って、50キロ走り、海を目指した。
ずっとこんな感じの、堤防の上の道が続く。
途中、「墨俣一夜城」があった。
戦国時代、豊臣秀吉が美濃の斉藤氏に奇襲をかけるために、たった一夜で城を築いたという伝説を再現したものだという。
しかし、あまりにも立派過ぎる。
城の端では、堤防作りが行われていた。
ここはいくつもの川が交わるところで、少しでも災害が起こると水浸しになりやすい場所のようだった。
戦略上重要な場所だったのかもしれない。
敷地内にある、本来の墨俣一夜城を再現したもの。
実際は、木で作った柵に、ハリボテの建物や人を立てかけ、たくさんの兵士がいる城に見せかけたという。
そっちの再現に力を入れて欲しかったと思う。
頑丈な石垣とコンクリート(?)の城じゃあ、「一夜で作りましたよ」という一瞬感がなくなってしまうのではないだろうか。
長良川沿いを走って下る。海に近づくにつれ、幹線道路の大きな橋をたくさんみかけるようになった。
海はもうすぐ。しかし、雲行きは怪しく、途中途中で雨に降られた。
長良川も終わりが見えてきた。
流域あたりは、揖斐川、長良川、木曽川(西から)という大きな川が交じりあっている。
今走っているところは、右に揖斐川、左に長良川が走っている、幅50mもない中州だ。
ちょっとした自然堤防のような中州が、10キロにも渡って続いている。
地図でみたら、不思議な地形だろう。
そんな風にして、長かった信州秘境ツーリングは幕を閉じた。
帰り道はまだ長い。雨に降られながら、シズシズと大阪を目指して走った。
おしまい。