流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

「女子に哲学の話題は振るな」と言うけれど

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「女子と話すときは、哲学の話題はしない方がいいよ」と言う人がいました。

 

そうかもしれません。

しかし、それでは世間でいうところの「哲学」って何?って話になります。

 

こんな「○○とは何だ?」という問いをすることでさえ、「哲学みたい」って思う人もいて、敬遠するかもしれませんが、哲学にはこんな、ちょっと突っ込んだ質問や自問自答だって入るでしょう。

 

そこから人の価値観や、どう生きよう、物事をどう捉えよう、というところまで突っ込んで考えることが、哲学なんじゃないでしょうか?

 

 

それって、そんなに難しいことでしょうか?

 

 

たしかに、物事を突っ込んで考えるには、論理性が必要になってきます。あるいは、論理性以外の突拍子もない発想の中にも、意外と真を突いたことが入っていることがあり、直感力もある方が良いです。

 

 

そうなると「哲学」って、

  1. 自分の身近なことから、世の中で起こっていること、人の本質に迫ること、もしも○○だったら等のことを
  2. 論理的に、時には直感的に、時にはマジメに・不真面目に、
  3. 突っ込んで考えていく

 

そういうものじゃないかと考えます。

 

「哲学」を難解にしているのは誰か?

ところが、世の中には、哲学は難しいという風潮が流布しています。なぜでしょう?

 

一つは、哲学を難しくしているのは、受験の倫理社会科で、哲学者の名前とか、難解な哲学の考えとか、身近じゃないことを暗記させたりしている教育もあると思います。

 

自分から興味を持って学ばないのに、受験やテストを通り抜けなきゃいけないから、嫌々興味のないことを覚えさせられたら、そりゃ哲学なんて嫌になるでしょう。

 

二つ目は、また、テレビやマンガなどでの、哲学者の描かれ方が、

どれもしかめっ面で、難しそうなことをしゃべっては悩んでいる、偉そうな人のような人物像にステレオタイプされています。

まるで同じ人間じゃないみたいに描かれています。

あたかも、哲学をする人間が、学者とか特殊な職業のように扱われています。

 

そりゃ「あんな気難しい、辛気臭い人間になりたくない(近づきたくない)」って思うのは、不自然じゃないでしょう。

 

 

そして三つ目は、「難解フェチ」の存在です。

 

倫理社会科で習うような、哲学者の名前だとか、難解な哲学の考えとか、身近じゃないことを、難しく考え回して、哲学好きにしかわからない難解な用語でベラベラ語っているのが好きな人たちが、哲学関係のところで、ああでもないこうでもないとやり合っているのです。

 

そんな人が、「カントの『純粋理性批判』も読んだことない、ショーペンハウエルデカルトも知らない人間が、哲学をしゃべるな!」などと、

哲学を好意的に思っている人を叱ってしまう状況があるようです。

 

「難解な哲学フェチ」の上級者たち同士の間で、難解合戦をやっているのなら別にいいのですが、初心者や難解を求めていない人に向けて「俺たちがやってるのが哲学なんだぞ!」と通ぶると、せっかく興味を持って入ってこようとした人が、ハードルの高さを感じ、逃げてしまいます。

 

低迷期にあった、以前の新日本プロレスよろしく、

すべてのジャンルはマニアが潰す。」状態なのです。

 

 

ざっと見た感じでは、以上の3つが、哲学を「女子に話したら嫌がられる」ものにしてしまっているように思えます。

 

難解なものがわかるわけないでしょう。

自分の身近じゃない話題なんだから。

 

それよりは、身近なところについて考えたり、自分のことについて掘り下げるとか、

その方がよっぽど哲学なんじゃないかと思います。

 

 

別に女子全てに対して、突っ込んだ話題を振る必要はありません。

突っ込んだ話題についてこれる女子だけに振ればいいだけのことじゃないでしょうか?

(あとは、話す方法も大事ですよね!)