流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

なぜ「ゆっくりでいいんですよ」という声掛けしかないのか?

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福祉関係にお勤めの方に多いと思うんですけど、

何かをやっている人に対しての声掛けが

 

「ゆっくりでいいですよ」とか「自分のペースでやってくださいね」というのが、

 

あまりにも多すぎる気がするんですよ。

 

「お疲れ様でした~!」

「ご安全に!」

くらいの頻度で

「ゆっくりでいいですよ^_^」

って声を掛けられることがあるんです。

 

それしかないの?

 

 

状況によって、掛ける声のバリエーションがもっとあるでしょう?

 

例えば、仕事を少しでもペース上げてやってみたいとします。その時に

 

「ゆっくりでいいんですよ^_^」って、何ですか?

 

 

 

 

または、ちょっと急がないといけないときとか、相手を待たせているときでも、

 

「ゆっくりでいいんですよ^_^」って、それで大丈夫なんですか?

 

 

 

いや、その場合だったら、「一旦落ち着いてください」とか、「少しペースを上げても大丈夫ですか?」くらいならわかりますよ。

けれど、ゆっくりしていたら相手を怒らせてしまったり、締め切りに間に合わなかったりする、自分の都合でどうにもならない場合だったらどうするんでしょうか?

 

 

なのに、どんな状況でも「ゆっくりでいいんですよ^_^」の一言で済まそうとするには、表面だけ良くして、ちゃんと向き合おうという気が伝わってこないんです。

 

 

 

 

僕は、「優しい定型文をとりあえず言っておけば、問題解決する!」という文化が、日本にはあると思います。

 

これは僕の話なんですが、近くに声をかけたいと思った人ました。

だけど、僕は口下手で、話す話題がなかなか浮かびません。

その人になんとか話したい…といって、一応は声を掛けるのですが、後の話題が続かなくて、どもったり、気まずそうになってしまいます。

 

そんなとき、「ムリに話さなくてもいいよ」と言いました。

 

 

いや、話をしたいんです。仲良くなりたいんです。

あなたのことをもっと知りたいんです。

でも、どこから入っていいのかわからず、困ってるんです。

 

なのに、ムリに話さないことで、その人と仲良くなれずに、

しばらくお互い沈黙したまま時を過ごすことになってしまい、

歯がゆい想いをしました。

 

その人は「優しい」のかもしれませんが、

「配慮」という面では、まだ物足りなさを感じました。

その「足りない」ところにもっと向き合えていれば、少しは心が近づけたかな、と感じました。

 

 

同じような経験や、声掛けをされた人は多いかもしれません。

せめて、内容を1cmでも掘り下げるというのがあれば、互いに気持ちが近づけたかもしれないですね。