流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

人や物事に興味が持てない。なぜ?

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このブログでは、僕の好きなものばかりを書いていこうと思ってるんですが、

世間的に見ると、僕は「無趣味」だとか「モノを好きになったことがない」って言われます。

 

例えば、映画の話になったとき。

他の人Aが、ミニシアター系では「通」な作品を出してきます。

別な人Bが「それ、いいよね!」みたいな共感をしてきて、A中心に話の輪ができます。

そして、Aは「映画好き」というイメージを得て、他の人たちから映画の話題で話しかけられやすくなるという利得を得られます。

 

そんな中で、僕は大して映画が好きというわけでもありません。

BSで気になった映画を片っ端から見るか、年5回は映画館に足を運びますが、「これは何十回も見返したい!」という映画がなくて、特に感銘もないまま、終わってます。

また、人には言えないのですが、自分の中で好きなジャンルの映画があるのですが、外では口をつぐんでしまうんです。

 

その僕が映画の話に入ろうとしたのですが、なにぶん好きな作品がないのと、あっても他の人には言うのがはばかられる(こんなの見てるんだ!変態!近寄らないどこうって思われる恐れがある)ので、

結局僕は、「…みなさん、好きな作品があってうらやましいですね。僕は皆さんほど映画を楽しめたことが無くて…」と返すのが精いっぱいでした。

 

そこで言われたのが、「あなたって、好きになれたものが無いんですね。」という一言でした。

グサリときました。

本当のことなのだから。

 

 

 

他者を意識して興味を持つべきものと、自分が心から好きなものは、違う

 

もう察しが付いてる人はいると思いますが、

好きなものには、「他者を意識しているもの」(他者とつきあっていくために必要な、「自分も好き」という演技をするために必要なもの)と、

「他人からどう言われようが、自分の本心から好きなもの」があります。

 

これまでの文章の場合、僕が「好き(にならなきゃ)」なものは、全て、他者を意識したものになります。

友達を作るための話題作りや共通点探しのための「勉強」とか、取引先とのつきあいを円滑にするために、やりたくないゴルフをやるとか、他人から良く思われたいがために料理をやっているとか、自分が他人から利得を得るための「やらされる仕事」のようになっています。

 

一方、僕の場合、自分の本心から好きなものは、

「一日中地図を見ていても飽きない」とか、

「中学時代、ポケモンに大ハマりしていて、あらゆるグッズやメディアに手を出しまくってた」とか、

「旅行のためなら、朝早起きして、夜寝るまで、フル活動していても、気持ちが枯れないで一日中動ける」とか、

自分の主体性から湧き上がってくるエネルギーです。

 

他人の好評価を得るための趣味と、自分がどうしようもなく好きなことが、一致していれば、これほど幸せなことはないのですが、多くの場合、そうはならず、「趣味の貴賤」の中で低評価を受けないように、他人の趣味に合わせることをやってしまいがちになります。

 

そうして、人に好かれるために、他人の好きな趣味をマーケティングして、自分もそれに合わせて興味を持つなんてことをやってばっかりいると…

その成果を計算するばかりになってしまい、

人や物事に興味を持てなくなってしまうのです。

 

広告やテレビ番組、グラビアやゲーム、商品…なんかが目の前に現れても、

全てが無駄で、自分に利益をもたらさないと思えて来て、

興味が出て来なくなります。

 

そうしていつしか、自分が好きだったものでさえ、その「他人の評価基準」で見るようになり、興味をなくしてしまうのです。

こうして、自分は、人も、物も事も心の底から好きになれなくなってしまいました。

 

今では「かえって、自分が好きなことだけをやっていればよかったなぁ…」と後悔してばかりしています。

そうしていれば、やってきたことは無駄だったかもしれないけれど、やり続けることで、何か一つや二つは残るだろうと思いました。

20代で、自分の中に何一つ残らなかった、その後悔は時々僕を襲います。

 

だからこそ、自分が本当に好きなことを、もう一度見つめ直して、好きなことばかりをやる、なりたい自分になることが、必要なのだなぁ、と思い、このブログをやっているのです。