漂流、いいじゃないか!

周りのことばかり気にしてきた人が、「周囲のことを気にしないで、やりたいことをやる」をモットーに書いてます。趣味、旅行、哲学などの話を書いています。

自信を持てないことを受け入れる

20代、異性にモテたい盛りで、どうしたらいいかをあれこれ試行錯誤していた時期でした。

あまりうまくいかず、そのときよく言われたのは、

「宮さん、自信がないでしょ?自信持ってない人に女の子はついてこないよ。」

ということでした。

自信とは何でしょうか?

自分は男らしい、出来る人間だということを演出することでしょうか。

ブレない考えを持って、堂々と発言できることでしょうか。

挙動不審でないことでしょうか。

あれこれ考えましたが、わけがわからなくなって、ますます自信がなくなりました。

ある日、僕が好きな岡本太郎の『自分の中に毒を持て』という本に出てきた、この一文を読んで、

勇気づけられたのを覚えています。それは…

岡本太郎、かく語りき

ぼくは自信があるとは思っていない。

自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。

実力がない?けっこうだ。チャンスがなければ、それもけっこう。うまくいかないときは、素直に悲しむより方法がないじゃないか。

自信に満ちているといわれるけど、ぼく自身は自分を始終、落ちこませているんだ。徹底的に自分を追いつめ、自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たないように、突き放す。

そもそも自分を他と比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。わが人生、他と比較して自分をきめるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。

自信なんていうのは相対的価値観だ、誰々よりも自分は上だ、とかいうものでしかない。そうじゃなくて、人間は生死を越えた絶対感によって生きなければだめだ。

(※いくつか中略しました。)

自分は自信があるなんて思っていない?

自信を持とうとすることは、卑しい?

どういうことだろうと思って、この一文を何度も読み返していました。

そうしているうちに、自分が初めて肯定されたような気がしました。

自信がどうのこうの意識しだしたりするのは馬鹿みたいだし、

自信がないことを悪いと思うことはないし、

自信がないならそれでいい。

人にとやかく言われようと、自信が持てなくたってそれでいいし、

そんなチマチマした人の評価を気にするよりは、自分が「これだ!」と思ったことをとことんやる方が、生きていて楽しいじゃないか。

自信が持てないことを、受け入れられ、だいぶ楽になれた気がしました。

人として軸がブレている、それも肯定する

しかし、それでも「ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。」と思えるものがありませんでした。

自信がどうのこうのという以前に、自分の軸となるもの、信じればいいものがわからない。

軸がブレていて、自分の核となるものがないと、自信がない自分に戻ってしまうのでは、という心配をしていました。

そこで様々な本と格闘している間に、幕末から明治維新にかけて活躍した、横井小楠という人物を見つけました。

幕末の熊本藩出身の武士ですが、半端ではないブレた生涯を送ってきていた人物です。

まず、武士だというのに、刀が邪魔だという理由で、刀を持ち歩いていない!

その時点で、「ちょっwww」となるところですが…、エピソードはまだまだあります。

学問は日本トップクラスの出来で、最初は朱子学を学んでいましたが、それもやめて、実学に傾倒し、西洋流の経済や産業振興をしようという提案をしていたり、

開国についても、日本国内の大名同士での会議だけでなく、外国人も招いて、国際関係をどうするか会議しようと提案したり、

勝海舟もビックリするような提案を次々していました。

良いものをすぐ取り入れ、時代に合わせて変えていくという柔軟さを持っていました。

しかし、芸鼓遊びが大好き。

酒の席でやらかして、江戸から熊本に帰されてしまったり、

刀が邪魔で持っていなかったのに、刺客に襲われたときは、戦わず、一目散に逃げてしまい、その罰で武士の身分を取り上げられてしまったりしています。

一般の武士だったら、戦って切腹して、自分の誇りを守っていたでしょうが、横井小楠はそんな次元で生きていなかったのでしょう。

ブレてます。人生ブレまくってます。

だけれど、あまりにもブレまくって、ブレているのかわからないくらいにまで突き抜けています。

幕末という時代は江戸幕府という長い安定の時代に終わりが見え、それまで来なかった外国が次々と日本に入り込んできて、外国が欧米に征服されるのと同じ道を日本もたどらないために、日本はどうなっていったらいいかをあらゆる人が模索していた時代でした。

時代が変わっていき、それまで安定と思われていたことが安定でなくなっていく社会では、変わらないでブレずに一つの考え方を貫くことは、むしろリスクになります。

時代の変化をとらえ、変化に合わせて、自分も変わっていくことが、生き残りには大事になってきます。

今日は江戸幕府体制保守に尽くしていたけれど、新政府が優勢になるそうなので、明日は新政府に合流して、幕府を倒します。

明日の可能性に懸けます、くらいの変わり身が必要だったのです。

自信って、自分を肯定できることだと思う(自己肯定感)

「ブレていてもいい」と知ったときは、僕はこれまただいぶ気が楽になりました。

自信を持つことに躍起になることや、男らしくブレない考えを持つことをする必要はないし、

むしろブレていて、自分探しをしたり、自分が「これだ」と思えるものを探す途中でも十分だと思えるようになりました。

それは、自分のことを少しは肯定できたときだったと思います。

そう、自分をOKだと思うこと、自分を信じること。これが本当の自信なのです。

人が自分のことをとやかく言おうが、女性が自信のない男が嫌いと言おうが、そこに影響されにくくなりました。

(※自信がありすぎる男が苦手な女の人もいると聞きます。)

僕は現在、時々自信がないことを口にしたりします。

虚勢を張ると大して得をしないし、正直に自分の思うところを出すことによって、

人の知恵を借りて答えが見つかったりとか、同じように悩んでいる人と接点が出来たりと、損より得の方が上回っていることに気づいたからなのです。

ここでもまた、「自信がないことを言える自分を肯定」できているのです。

こうした成功体験を積み重ねることによってついてきた自信が、本当の自信になるのでは、と思います。