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漂流、いいじゃないか!

周りのことばかり気にしてきた人が、「周囲のことを気にしないで、やりたいことをやる」をモットーに書いてます。趣味、旅行、哲学などの話を書いています。

自分を理解してもらうための土俵が、会話や肩書きくらいしかないのが問題

僕は本当に人と意気投合したり、自分を面白いと思ってもらうことが、比較的苦手だったと思う。

話の輪にいても、話がうまくて調子がよくて面白い人や、何か目立った特徴や肩書きを持っている人に、話題の中心を持っていかれて、

会話の主導権を取られてばかりで、気がつけば自分は印象の薄い、空気みたいな人になってしまっていた。

そんな中で自分を出せず、話を聞く役ばかりに回ってしまい、当たり障りのないことしか質問できず、

結局、その後に残るような人間関係が築けないで悩んでいた。

(会話をして、自分が人と関係を持てるようになるには、「聞き上手」になることが大事とはいうけれど、多くの場合そうじゃないと、経験上思う。)

自分にとって大切な人間関係を得るには、自分を理解してもらい、相手にとってなにかしらの利益があるよう感じ取って、「また会いたい」と思わせるプロセスが大事じゃないかと、個人的には思っている。

しかし、最初の「自分を理解してもらい」の一歩が、何かしらの制限によって、

つまづいているのでは、と思った。それは…

人に知ってもらうまでのルートが、会話や肩書きくらいしかないのが問題

日常生活や人との交流の場では、ほとんどが会話を通したコミュニケーションが主流を占めている。

そこでは、他のことをするのは基本的に難しい。

自分がギターが弾けるといって、いきなりギターを持って来て超絶技巧を披露したり、自撮りギター動画を披露してもウザがられる。

スキーが好きだからといって、すぐにスキー場に行って、一緒に体験しようなんてことは、あり得ない。

会話くらいしか自分を出して伝えるツールがないとき、

魅力が伝わるかどうかの判断基準(尺度)は、会話の上手いか下手かしかなくなってしまう。

そうなると、会話が上手い人や面白い空気を作れる人、主導権を握れる人が

一番魅力的ということになってしまうのだ。

そうなったら会話が下手な人はたまったものじゃない。

「会話が上手い/下手」しか価値基準がないところで、上手い人に負けないように張り合わないといけないのだ。

しかし、会話が下手な人が張りあったところで、上手い人より優位に立つには相当なモノを持っていないと勝てない。

「〇〇の経験者(プロ)」とか「〇〇のえらい人」といった肩書きがない限り、話の輪の中では沈んでしまうのだ。

そう、既に、上手い人の土俵に乗せられてしまっているのだ。

上手い人のペースに乗せられて、同じ100m走で競争させられているのだ。

自分だったら、棒高跳びに自信があって、彼に勝てるのに、この競技大会には100m走しかないので、その競争をするしかなくなっているのだ。

そうなれば、足が速い人が勝つに決まっている。

(しかも、会話が上手く、人に好かれている人は、会話がうまくないために苦労したことがない人が多く、彼らが上手くない人に配慮する等は期待できないだろう。)

「相手の土俵に登るな。自分の土俵に持ち込もう。」と、よくいわれるが…

しかし、どうやって自分の土俵に持ち込めばいいかわからない人が多いと思う。

(自分も、正直まだ模索中である。)

これは、僕がこのトピックについて悩んでいたとき、先輩から聞いた話である。

「会話が上手い人が人間関係を制する。」状況のとき

ここでいう「土俵に乗らない」とは、「上手い人と会話をしない」ということである。

「距離を置く」、「時々無視する」という態度で接することも一つだ。

会話の上手い、嫌な人(周囲からは人望があるけれど、どうでもいい人に対しては冷たくあたる人も含む)は、しゃべらせておいていい。

少し高等テクニックだが、彼がボロを出しつつあるときに、質問責めにするのも良い。

話の輪の中で、「人として、人の話をちゃんと聞かないといけない」などと、誠実に答える、いい人であり続ける必要はない。

もし、土俵に乗らない態度を自分が取って、「その態度、人としてどう?」と聞かれても、真に受けて返答し、相手の土俵に乗らないよう、反らしても良い。

以上は先輩に教えてもらった話だが、僕はそうすることで、会話の前に緊張や気負いしたり、会話の後に、変な後悔をすることが少なくなったように思う。

会話じゃないコミュニケーションの幅を模索できない?

しかし、会話くらいしか、相手に自分のことを伝えたり、コミュニケーションを取る手段がない中、

その手段が使えなくなった、会話下手な人は、何でコミュニケーションをとったらいいのだろうか。

(※身振り手振りや空気を読む等の、非言語コミュニケーションがあるが、これも会話中で上手下手が人物評価に影響するので、除く。)

ハイスコアガール』という、ゲームセンターをテーマにした漫画がある。

他のことは全然ダメだが、ゲームの腕は誰にも負けない、主人公のハルオと、

一見ゲームなんかやりそうもない、無口な箱入りのお嬢様だが、すご腕のゲーマーの女の子・晶。

二人がゲームセンターの格闘ゲームで出会い、ハルオが誰にも負けないと自負していたゲームで、晶に連敗され続け、そこから二人の対決が始まる。

しかし、ゲームの対戦を通して、お互いのゲームへの熱をぶつけ合っているうちに、二人に友情が芽生え始め、かけがえのない存在になっていく過程が描かれている。

そこで描かれるコミュニケーションには、会話なんてない。表情を交わしたり、下手な非言語コミュニケーションのやり取りや駆け引きなんてない。

ひたすら、一本の格闘ゲームの勝負を通してぶつけ合う熱と、お互いを確かめ合うことだけだ。

(「言葉はいらない」という陳腐な言葉があるが、そういうものとは違う。)

たとえば、そんなお互いが好きなもの、譲れないものへの情熱をぶつけ合うコミュニケーションのあり方だって、あっていいじゃないか。

あるいは、有名ニートのphaさんが、大学の寮で経験した

大学時代の僕なんて今より本当に社交性とかなくてめんどくさい奴だったけど、寮の雰囲気はそういう駄目な人にも物凄くやさしかった。

寮に居着いてるのは内向的な人が多かったので、黙々と漫画を読んだりゲームをしたり麻雀を打ったりしてるだけで人の輪に入れた。

自分から他人に話しかけるのは物凄く苦手だったけど(今でも結構)、自分から何もしなくても部屋の隅っこで漫画を読んでればやさしい誰かが麻雀の面子に誘ってくれた。

「だりー」とか「寝過ごした」とか「ロン」とか言いながらなんとなくだらだらと過ごしているうちに、仲良くなるまでのぎこちない期間を無事過ぎることができて、一緒にいてリラックスできる友達になれた人たちがいっぱいいる。

phaの日記「寮かネットなら友達ができる」より引用

のような、会話や話しかけをしなくても、遊びを通じたコミュニケーションのあり方もあっていいじゃないか。

あるいは、撮ってきた写真を交換して、お互いの好きなことや価値観を知りあうとか

俳句をやることで、人の視点や考え方を知ったりするやり方とか

子ども相手だったら、同じ目線になって、一緒に遊んだりするとか

クイズゲームが好きな人は、皆で知識を競い合って、知的な世界観を共有するとか

一緒に映画鑑賞や音楽を聴いて、思ったことを言いあうとか…

…「こんなやり方あるよ!」というのがあれば、是非教えて頂きたいところですが…

ともかく、会話の上手下手という一つの尺度では負けてしまう人が、

「自分の土俵に持ち込める」コミュニケーションのやり方を通じて、自分の魅力を表現できる機会を模索することがいいのでは、と思っているのだ。