流れて消えるだけじゃ、語り合えないから

この人いいな、という人は、前向きでも後向きでもなく、ただ中間の状態でその場を動いているだけ。

趣味(コミュニケーションツール)に興味が持てない

「スポーツ観戦」、「フットサル」、「ライブ」、「AKB48」のような、みんなが好きなこと

世間の人が認知している「趣味」に、興味がわかない。

なぜか。

それは、自分の中でそれらの中に、意味を見出せないからだ。

自分が求める意味と、物事が持っている意味が、一致して見出せないから、関心が生まれないのだ。

★無条件に没入できるものが無い

ブログ「物を持たないミニマリスト」で読んだことには、

「人間が「生きてて何になるの?」状態に陥らないで生きていくのには、『感覚の世界』に入ることが大切だ。」と言っていた。

「言葉や論理で世界を知覚するのではなく、それを超えて、理屈抜きで感じてのめりこんでいくこと。」ができることだという。

これを趣味に置き換えると、意味や利益は置いておいて、無条件に没入できるものではないだろうか。

「寝る間も惜しんで、空いている時間も全て、つぎこんでも足りない」くらいのものだと僕は思っている。

そういうものに出会えない。

たとえば、「AKB48の小嶋陽菜かわいいなー。好きなタイプだなー。」と思ったとしよう。

そこから先の興味が持てない。

ライブに行ったり、グッズを買おうとしたり、プロ野球だったら、一つのチームを追っかけ的に試合を見たり、データをどんどん吸収したり、

第一印象から先への興味が持てないのだ。

「この女の子の○○のライブで、○○のコスチュームをして、△△のパフォーマンスをするのが好きだ。□□なところがいい。」みたいなところまで踏み込めないのだ。

そういうところまで踏み込んで、はじめて「趣味」を通じてコミュニケーションができるのだろう。

野球の話やミュージシャンの話、ゲームといった話題が、「そうそう!」「わかるわー!」という同意とともに、スムーズに、楽しそうに進んでいく。

それを通じて、人が仲良くなっていく。

趣味が、コミュニケーションツールとなって大きな位置を占めてしまっているのだ。

ところが、踏み込んで趣味に興味が持てない僕は、皆が趣味として認知している「スポーツ観戦」、「コスプレ」、「ライブ」、「AKB48」のような趣味が持てず、同好の人たちと話ができないのだ。

僕が話をしたいタイプの人と話ができる機会を、ことごとく失ってしまっているのが苦しいのだ。

★損得勘定と金銭感覚がブレーキになっていた?

どうして、「趣味」に興味が持てないのだろう。

いくつか考えられるのは、2つのルート。

【ルートⅠ】

①幼少時に植え付けられた、消費への嫌悪感

②お金や時間がもったいない感覚

③趣味によって活躍できている人が過剰にアピールしてくることやドヤ顔への、嫌な思い出

①②の金銭感覚やもったいない感覚については、また別の記事で採りあげるけれど、

これらが、物事に興味を持つことを抑えつけているのだと思う。

または

【ルートⅡ】達成したい願望・コンプレックスの解消のためのツールとしての趣味

「友達が欲しい」「腹を割って話せる人が欲しい」「自分を活かして仕事がしたい」「有名になりたい」「若い人と一緒にいたい」「モテてチヤホヤされたい」「金が欲しい」…といった、強い願望があって

それらの達成にリンクしないものには興味を持てないのだと考えられる。

そして自分の願望が、なりふり構わず趣味に走ろうとするのを「普通の人に受け入れられるようにやれよ!」と押さえつけたり、

コミュニケーションのツールとして役立っているのか、損得を計算し、役に立たないものを跳ねのけるように、抑圧機能として働いてしまっているのだろう。

実は昔は、「鉄道」や「ラジオ」や「地図」などの趣味を持っていた。

しかし、僕はこの趣味をやめたり、隠すようになった。

この趣味をやっていることを公にすることで、僕に利益をもたらさないどころか、これらが好きと知れたら、不利益をもたらすだろうと、隠すことが多かったのだ。

そうして、様々なものに手を出したが、これといって身に付くものがなく、「無趣味」としか自分を紹介できないようになってしまった。自分の出し方が分からなくなってしまい、今、とても困っている。

僕は、この抑圧のサイクルに陥らないようにするために、

人の目は一旦放っておいて、自分が何がやりたかったのかを、観察することをはじめた。

まだまだ心許なく、発見は不十分だけれど、応援いただけると幸いです。